読書記録 -2014年のまとめ- | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

自分は2013年の12月26日に「読書メーター」というページに登録し
約1年間、このページを通して読書記録をまとめてきました。

・読書メーター れぽれろのページ
http://bookmeter.com/u/418702

「読書メーター」は読書を管理できるサイトで、読んだ本、読んでいる本、
読みたい本などを登録しておき、読み終わった本の感想・レビューを
残しておくことができます。
最大255文字で気楽に感想を纏めることができるのが魅力的なサイト。
ちなみに、アメブロで仲良くさせて頂いている方の中にも
この「読書メーター」に登録されている方も何名かおられます。
なお、自分の「読書メーター」上のアイコンは、
パウル・クレーの「赤いチョッキ」を使用しています。

・赤いチョッキ/クレー

赤いチョッキ


登録してからちょうど1年が経過し、この1年間でちょうど50冊の本を
読みましたので、この1年間に読んだ本について、ちょっとまとめ的な文章を
書いてみたくなりました。
以下、この1年の読書まとめという意味も込めて、
読んだ本をずらりと並べて文章化してみたいと思います。


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自分は歴史が好きなので、読んだ本は全体的に歴史についての本が多いです。
様々な歴史の本を読んでいると、歴史というものは構造的なもの、
ある作用により必然的にある方向に向かっていくものだという印象を
強く持ちます。
「疫病と世界史」(ウィリアム・H. マクニール、上下巻)では、
人間に寄生する細菌やウイルスの働きが人類の歴史に
深く影響を与える様子がまとめられており、
同じ作者による
「戦争の世界史」(ウィリアム・H. マクニール、上下巻)においても、
<自由>を志向する社会と<指令>を志向する社会の差異が、
意図せざる結果としての軍事の異様な発達の差異となって
現れてくる様子が描かれています。
「アジア史概説」(宮崎市定)では、ユーラシア大陸の東西の交通路の変化が
歴史に影響を与える重要なファクタ、「文明の生態史観」(梅棹忠夫)では、
ユーラシア大陸の地形そのものが歴史に影響与えるファクタ、
同じ作者の
「情報の文明学」(梅棹忠夫)では、脳の充足のための情報化というファクタが
歴史に作用するとされます。
総じて人間一人一人の行動様式は、決して自律的ではなく、
他律的に外部からの影響を受けながら決定される、故に、
歴史は構造であるという印象を受けます。

歴史の各論では、ヨーロッパ中世末期と近世初期を断絶ではなく
継続として捉える「中世の秋」(ホイジンガ、上下巻)、新たなイギリス通史として
17世紀革命の再考やグローバル化の歴史を視野に入れてまとめられた
「イギリス史10講」(近藤和彦)、ドイツ通史として領邦制・官僚制・
テクノクラート(専門家)がポイントであるとされる
「ドイツ史10講」(坂井栄八郎)、
ヒトラーを計画的な戦争推進者ではなく機会主義者として捉えなおした
「第二次世界大戦の起源」(A・J・P・テイラー)などを読み、
中でもとくに「ドイツ史10講」における、テクノクラート(専門家)こそが
<大衆>そのものなのだという指摘が
非常に印象に残っています。

世界の各地域の、自分が詳しく知らなかった歴史や文明の様子をまとめた本も
何冊か読みました。
熱帯地域の文明の特徴と構造をまとめた「悲しき熱帯<1>」
(レヴィ=ストロース、<2>はまだ未読)、もう一つのキリスト教:ギリシャ正教に
ついて体系的にまとまられた
「ギリシャ正教」(高橋保行)では
原罪論・予定説・政教分離とは全く異なるキリスト教の世界を知ることができ、
「イスラーム文化」(井筒俊彦)では、来世(死後)の幸福と現世での幸福の
どちらをも重視し生活と宗教が一致した合理的・包摂的なイスラム教の世界を
知ることができました。
「科挙」(宮崎市定)では、貴族社会から官僚社会への変化に伴う
試験制度の変革と、それが時代を経て因習的で非機能的になっていく様子を
面白く読みました。

一方、日本についての本もたくさん読みました。
「日本文化史研究」(内藤湖南、上下巻)では、徹底して中国文化の影響を
受けていた日本が、応仁の乱という社会的混乱を契機に変化し、このときに
旧文化の取捨選択が行われ、
日本的なものが出来上がっていった様子が
纏められています。
「日本的霊性」(鈴木大拙)、「地獄の思想」(梅原猛)、
「往生要集を読む」(中村元)は、いずれも仏教の日本的な受容について
纏められた本で、鈴木大拙によれば浄土教が日本では日常性と大地性に
変化し、
梅原猛によれば日本の文化に大きな影響を与えたのが
仏教的な<苦>の考え方であるとされ、
そして中村元によればインドの
ローカルな浄土教が
日本では逆に普遍性に近づいていくような
変遷があることが興味深く考察されています。

日本の近代を考える上で重要だと思う本は、江戸末期の外国人が日本を
どのように見ていたかをまとめた「逝きし世の面影」(渡辺京二)で、
「西洋から見た日本」「近代から見た前近代」という2つの側面で読まれるべき本、
同様の考察は「なぜいま人類史か」(渡辺京二)においても触れられています。
「菊と刀」(ルース・ベネディクト)においても前近代と近代の日本の重要な
分析が纏められており、階級秩序への信頼故に主君への忠義が優先される
構造と、それを応用した近代天皇制システムの分析が面白いです。
「近代日本思想案内」(鹿野政直)は日本の近代思想が網羅的に
纏められた本ですが、とりわけ<欧化>と<国粋>の揺らぎ、
及び日本独特の国体論の分析が印象的です。
このような近代日本が経験した破局が第2次大戦での敗北であり、
「失敗の本質」(戸部良一 他)ではその敗因を組織体系の問題として
捉えられています。
そして「暴力的風景論」(武田徹)は、戦後日本の風景と暴力の関連性を
論じた本で、一言では纏められない多様な情報と考察が魅力的な本に
なっています。

文芸作品から日本近代を考えてみることができる作品も、
今年は何作か読みました。
「セメント樽の中の手紙」(葉山嘉樹)は代表的なプロレタリア文学者による
短編集で、プロレタリア文学らしい告発の作品の他、
転向時代のやるせない作品も印象的。
「焼跡のイエス・善財」(石川淳)は美しい文体と、キリスト教を絡めた
終戦直後の短編作品が魅力的ですが、戦前の作品である「マルスの歌」の
主題、勇ましい戦争の真似事が本当の戦争に繋がっていくということが
全体主義の考察とも結びついて面白いです。
一方で「暗い絵・顔の中の赤い月」(野間宏)の何作かの短編は、
戦争体験後の虚無・ニヒリズム・エゴイズムが印象的な作品となっています。
これらの文芸作品は、今日的な社会を考える上でも
重要な視点を提供してくれていると感じます。

人間とはどのような生き物なのか、
こういったことにつながる著作・文芸作品もいくつか読みました。
「ホモ・ルーデンス」(ホイジンガ)、「遊びと人間」(ロジェ・カイヨワ)は、
いずれも人間と遊びについて考察した本。
ホイジンガが遊びの重要性と近代における遊びの要素の希薄化を
問題としているのに対し、カイヨワの方は原初的社会と発展的社会では
遊びの質が変化していると分析しています。
個人的にはカイヨワの遊びの分類と社会の変遷についての考察が印象的です。
「闇の奥」(ジョゼフ・コンラッド)は近代社会から前近代社会に移り住んだ男の
劇的な変化が、「金閣寺」(三島由紀夫)は世界をうまく生きられない青年の
心象の変化が、
「宴のあと」(三島由紀夫)は理想主義者と現実主義者の
生き方の対立が、
それぞれ文芸作品として描かれており、
いずれも人間を考える上で面白い主題を提供してくれています。
とりわけ「金閣寺」の主要な主題、「行為で世界を変えることの困難性」は、
この世の生きにくさを考える上での重要な視点であると感じます。

現代社会を我々はどのように考え、どのように生きればよいのでしょうか。
フランクフルト学派の思想をまとめた「フランクフルト学派」(細見和之)で
紹介されているホルクハイマー&アドルノの「啓蒙の弁証法」では、
我々の理性的文明が必然的に暴力に頽落することが示唆されており、
客観的な視座を獲得することの重要性が述べられています。
「社会的共通資本」(宇沢弘文)では、経済が回る前提となる社会を
保全しないと、経済を回すために社会が荒廃するという逆説が起こり得る
ことが示唆され、
社会的共通資本の重要性が指摘されています。
「アドラー心理学入門」(岸見一郎)は、原因論ではなく目的論で考えること、
自己受容・他者信頼・他者貢献を通して人生の幸福を求めることの重要性など、
現代を生きる上で有効な視座を与えてくれています。
「「絶望の時代」の希望の恋愛学」(宮台真司)、
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」(宮台真司)の2冊も
いずれも現代を生きる人間の実存の問題と社会の問題の解決ためのヒントを
与えてくれている本です。
前者は良き性愛を入口にして人間関係と社会関係を実りあるものにしていく
ためのヒントが述べられ、後者は<システム>の増大と<生活空間>の衰退とが
逆説的に民主制・公共性を駆動させる力の衰えをもたらす構造の現状分析と
それを解決する一手段としての住民投票制度について述べられています。
宮台さんの著作は理論面も面白いですが、むしろ我々が前に進むための
動機付けを得るために読みたくなる本です。
「子どもの難問」(野矢茂樹 他)も生きることへの動機づけを考える
きっかけとなる本で、シンプルな問いと短くも深い答えとが散りばめられています。

最後に芸術と美に関する印象的な本について。
芸術作品を鑑賞するということは、生きる上で非常に豊かな経験です。
「美について」(今道友信)によると芸術を解釈することは世界の価値に
遭遇することにつながるとされ、さらに美学的に振舞うことが
よりよく生きることに繋がるとされています。
幕末から現代までの日本の写真の歴史を網羅的にまとめた
「日本写真史」(鳥原学、上下巻)や、マニエリスムをかなり主観的に解釈した
「迷宮としての世界」(グスタフ・ルネ・ホッケ、上下巻)は、資料的に参照できる本。
「文章読本」(谷崎潤一郎)は和文的/漢文的の2種類の文体の考察などが
印象的ですが、何よりもこの文章読本の文章自体が心地よいという一冊。
そして文芸作品、「花ざかりの森・憂国」(三島由紀夫)の表題作2作は
著者の主観的美学があふれる作品ですが、自分は客観的に世界を描いた
その他の作品の方が気に入っています。
「風の又三郎 他十八篇」(宮沢賢治)、「銀河鉄道の夜 他十四篇」(宮沢賢治)の
2冊については可愛らしい作品も多くありますが、宗教的な自己犠牲が
描かれるいくつかの作品に
著者ならではの美学を感じることができます。


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以上、この1年間に読んだ本を半ば強引に(笑)文章にまとめてみました。

来年も引き続き「読書メーター」を使用して本を読んでいきたいと思いますが、
昔読んだ本をもう一度読み返すということもやってみたいなと考えています。