「子どもの難問」に答える (その2) | れぽれろのブログ

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中央公論新社から出版されている「子どもの難問」という本、
(Amazonのリンク → [子どもの難問] )
この本を読む前に、まず「難問」に対して答えてみようのコーナー、続編です。

前回の記事はこちら → 

答えはあまり長くならないよう、できるだけ短く簡潔に書いてみます。


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◎「子どもの難問」に対する、自分なりの答え。後半戦。


・悪いことってなに?

普遍的に「正しい」「悪い」といえることはありません。
すべては状況・条件次第だと思います。
我々は社会を営んでいくために、「正しいこと」「悪いこと」の条件を
あえて定義しておく必要があります。
これが憲法や各種法律が必要となる根拠です。
これらの法は普遍的ではなく、社会状況に応じて修正が
必要になるものだと思います。


・自分らしいってどういうことだろう?

人間の性質・能力は、初期条件(遺伝情報)と環境条件(生育環境)で
すべてが決まります。
人間には自由があるように見えて、実は自分自身で選択できる幅は
限られています。
自分らしいということは、自分自身の性質・能力に見合った
生き方ができるということだと思います。


・きれいなものはどうしてきれいなの?

きれい/きたないは主観的な問題なので、人によって感じ方は様々です。
あなたがきれいだと思うことが、他の人にとってもきれいであるとは限らない。
あなたがあるものを見てきれいだと判断するわけは、
あなたの過去の経験が影響しています。
人それぞれ経験が異なるため、きれいについての価値判断も異なってきます。


・友だちって、いなくちゃいけないもの?

友達を作る/作らないは、個人の自由です。
しかし、友達はいた方が良い。
個人的には、たくさんお金があることより、なかよしの友達がいた方が
幸福なのではないかと思います。
しかし、よき友達を作るにも能力・スキルが必要で、
場合によってはお金を稼ぐことより難しいのではないかと思います。


・人にやさしくするって、どういうこと?

その人が存在していることを肯定し、承認することだと思います。
尊厳を認めること。
そして、その人が快だと思うことを、その人に対して成すことです。


・芸術ってなんのためにあるの?

作品から立ち現れる、世界・人間のありようを深く感じ取ることを通して、
生きているということの豊かさを感じるためにあると言っていいと思います。
世界への驚きと共感、この世界があることの不思議さと面白さ、
そして、人間への驚きと共感、人間が存在することの不思議さと面白さ。
文芸でも美術でも音楽でも、根本は同じだと思います。


・心ってどこにあるの?

前回の記事の「過去」についての話と同じで、
ことば(名詞)には、指し示すことができるものと、できないものがあります。
「心」も概念としては考えることはできますが、
実際に形のあるものではなく、「心」そのものはどこにもありません。
心という形で表現されるものは、脳や神経といった身体の物理的な作用の
結果として、現れてくるものだと思います。


・えらいひととえらくない人がいるの?

利他的に振舞うことができる人が、えらい人。
利己的にしか振舞えない人は、えらくない人。
こう言っていいと思います。
上にも書きましたが、人は初期条件と環境条件で能力が決まります。
この自分の能力に応じた形で、他者のために行動できる人は、えらい人です。


・神様っているのかなあ?

神様がどのようなものかは宗教によって異なりますが、
基本的にはいるかどうかを確かめることはできません。
多くの宗教にとって、神様はこの世界の創造者、
故に我々が住む<世界>の外に存在します。
なので、<世界>内にいる我々は、<世界>外にいる神様のことは分かりません。


・哲学者って、何をする人なの?

人間や社会や世界についての様々な問いを作り、その問いに対する答えを考え、
その答えからまた新たな問いを作る・・・。
このようなことを繰り返す人が、哲学する人なのだと思います。


・幸せって、なんだろう?

明日に希望があることです。
未来に希望があれば、今日の苦しみもきっと乗り越えることができます。
先に苦しみや辛さしか見えていないとき、今が豊かであっても、
不幸だと感じるのだと思います。


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以上、質問に答えてみました。

追って「子どもの難問」を読んでみようと思います。
哲学の先生方は、どのように答えられているのでしょうか・・・?
読むのが楽しみです。