体重と大人と努力 | れぽれろのブログ

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美術、音楽、本、日常のことなどを思いつくままに・・・。

最近、体重が増えました。

自分は162cm52kgをずっとほぼ維持してきました。
別に維持しようというつもりは全くなかったのですが、
それでもほぼすっとこの体重でした。
仕事が忙しすぎて食事が不規則になったときや、体調を崩したときなど、
体重が減ってしまうことはありました。
職場の健康診断で、あるとき50kgを切っていたことがあり、
「これはやばいな」と感じ、そのときに体重計を購入、
体重を戻そうとあれこれとがんばって(笑)いたこともありました。
しかし、なんとなく久しぶりに体重計に乗ると、54kgになっています。
あれれ、増えてる・・・。
別に食べる量が増えたり、運動量が減ったりしているわけでもないのですが、
何だか増えています。
30代もそろそろ半ば。
やはり年齢的に脂肪が蓄積しやすくなってきているのでしょうか。

自分は常日頃から人に対し、「多少太っていても気にする必要などない、
むしろぽっちゃりが好きな人もいる」などと言い続けていましたが、
いざ我が身の体重が増えると、なぜか焦りを覚えます(笑)。
162cmで54kgなので、実は全く太ってないのですが、なぜか焦る。
この気持ちは何なのだろう(笑)。無意味な焦りです。

女の子の「痩せないと」の気持ちが少し理解できたような気がします。

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あなたの人生、一番楽しかったのはいつ・・・?

こういう質問をされると、皆様はどのように答えられるでしょうか?
自分は上記のとおり30代半ばになりましたが、
一番楽しいのがいつかと問われると、今と答えます。

過去を振り返ってみると・・・。
小学生のころは何も考えずに漠然と生きていました。
(何も考えずに生きられたということは、幸福だったのかもしれませんが)
中学生・高校生のころは、今から振り返ると、楽しいといえることは
非常に少なかったように思います。
小さな幸せはありましたが、どちらかといえば苦しみと不安が支配的でした。
(この辺りの理由は機会があればまた書くかもしれません。)
大学生になると、中高生のときに比べてかなり時間的自由度は増しましたが、
経済的自由度が確立できていなかったため、相対的な幸福度は
さして高くなかったような気がします。
そして、やはり若者ならではの不安は大きかったですし、
自分ではどうにもならないことが多かったように思います。

就職して社会に出るようになると、一気に時間的自由度が減りましたが、
幸福なことに経済的自由度が上がってきました。
社会に出ると、中高生・大学生に比べて、肉体的にはかなり過労気味で
辛い・キツいことも倍増します。
しかし経済的自立は精神的な自由さと、あと可処分時間の自由をもたらします。
経済的に余裕がある分、可処分時間の自由度は、学生時代を遥かに凌駕します。
苦しみも増えるが、自由度と幸福感も増えていく。

30代も半ばになると、(上記の体重などはほんの一例ですが)、
やはり肉体的にはこれから衰えていくことになります。
社会的ポジションも、どんどんキツくなっていく。
呑気にブログなど書いてますが(笑)、自分は結構解決しないといけない問題を
抱えており、今の生活の何かが傾くと、一気に不幸の奈落に落ちる可能性は
十分に秘めているのです。

しかし、それでも年を経るに従って、経験の積み重ねから
余裕が出てくるようになりました。
世の中のことの色々な対処方法が、少なからず分かるようになってくる。
精神的に辛いことがあっても、心の変化のパターンが掴めてくるので、
心をチューニングしやすくなる。
年を経るにつれて、苦しみも問題も山積みになっていく気がしますが、
それでも今はやはり「楽しい」と言えます。
(幾分刹那的なのかもしれませんが・・・。)

自分より若い方で、生きることに不安を感じられている方がもしおられるなら、
体や心が慣れてくることを信じて、少し待ってみることをお薦めしたいです。
しかし、誰もが「楽しい」状態になれるとは限らない・・・。
「こうすれば幸せになれる」と、上から目線では決して言えないのです。

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アメーバの「ブログネタ」というのをみていると、こんな質問がありました。

ブログネタ:「努力は必ず報われる?」 
http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9459

統計をみると、本日時点で約半数の方が「報われる」と答えられています。
皆さまはどうお思いでしょうか?
自分ははっきり言ってありえないと思います。

がんばれば幸せになれる。
信じるものは救われる。
悪いことをすると回りまわってバチが当たる。
お天道様がみてくれている。

・・・ありえない。

自分は世界の根本は無秩序だと思っています。
放っておくと悪が栄え、正直者は馬鹿を見る。
「がんばれば必ず幸せになれる」というのは、上から目線のペテンです。

人間の一生は、初期条件(遺伝情報など)と環境条件(生育環境)で
多くが確定します。

どういう条件で生まれてくるのか、体が丈夫なのか虚弱なのか、
頭がいいのかそうでないのか、力が強いのか弱いのか、
容姿に優れているのかそうでないのか、
こういった条件は両親からの遺伝情報により、初期条件的に決まります。
自分が選べるものではありません。

どういった国・地域に生まれるか、どういう家庭で育ったか、
両親・兄弟・親戚がどんな人か、どういう教育を受けたか、
どういう友人・クラスメート・同僚と出会うことになるのか、
生育過程で素敵な人に出会うチャンスがあったのか、そうでないのか、
良い教師・上司・目上の人に出会えたかどうか、
経済的に豊かな環境なのか、そうでないのか、
これらすべてについて、個人で自由に選択することは非常に難しい。

努力が大切と人は言いますが、努力できるかどうかも、
すべては初期条件と環境条件で決定するものです。
大切な人・素敵な人に影響されて、はじめて人は努力できるようになる。
そういうものだと思います。
そしてその努力自体が報われるかどうかも、その人の能力や環境に
大きく左右されるものです。

努力するのは、素晴らしいことです。しかし結果が付いてくるとは限らない。
我々が目指すべきは、「努力した人ができるだけ幸せになれるような社会」を
つくっていくことです。
世界が混沌で無秩序であるからこそ、社会的秩序の確立が
必要なのだと思うのです。
そのためにはまず、「努力が必然的に報われる」などという蒙昧は、
捨て去るべきです。