↓こちらの続きになります。

 

 

ブログを早く仕上げろ!と怒られました(汗)。がんばります!

 

 

 

弥彦神社の参道は菊まつりの準備をしていてたためか、

 

 

人が多かったので、摂末社が並んでいるところへ行きました。


 


 

 

摂末社の看板を見ると御祭神は尾張氏の見なれた名前が並びますが、

知らない名前もあります。あめのいつたねのみこと?境内武呉山山頂?



 

誰だろう。天香語山命の第一嗣ですから…天村雲命のことかなぁ。

 

武呉神社 御神廟 境内武呉山 山頂

第一嗣 天五田根命(あめのいつたねのみこと)


 

境内武呉山を駅で貰ってきた地図で探しましたが、見当たりません??


 

 

 

 

実際に摂社へ行ってみると、茅葺屋根の十柱神社に次いで大きなお社でした。


 


 

 

▽摂社 武呉神社

(立派なお社ですね。こんにちは)

来たな。いつか来ると思っていた。先へ行け。

(はい)



 

 

期待していたのに、たいして言葉は降りてきませんでした。残念。

他のお社も、草薙社、今山社、勝社の神々も「先へいけ」、乙子大神は「来たな。いいことが起きるだろう」。

 


 

 

と、この程度。

十柱神社で初めて意味深なことを言われました。


 


 

 

▽十柱神社

生きているか?ここまでよく来たな。

ここから先へ行く扉が開いた。

今までの苦労が実を結ぶ。

不思議なことが起こるだろう。

意識を向上させよ。

賢所の扉が開いた。

この先、賢所の気が流れ始める。

ひとふたみ、よいつむつななや、ここのたり。


 


 

 

この後、菊まつりの準備で忙しそうにしている、職人さんを後目に御神木を見まして、看板に御神木賛歌という歌が書いてありました。


 

 

 

何の歌なんだろうなぁと思っていましたが、境内にその言われを書いたものはありません。

 

後日、先ほどのやひ恋サイトでその言われを見つけました。

 

やひ恋「弥彦の民話」より

御神木(椎の木)(ごしんぼく〈しいのき〉)

 彌彦神社参道の手水舎(ちょうずしゃ)と広場を隔てた右上段、石柵を巡らして、御神木椎の木が茂っています。祭神が持っておられた杖を地に挿したら、たちまち根付いて枝葉を茂らし、天下に異変のあるときは奇瑞を現す、と伝えられています。元の本殿はこのかたわらに鎮座していましたが、明治45年3月11日の火災で、神殿も御神木も共に焼けてしまいました。その後、神殿は現在地に再建されましたが、御神木は、不思議にも焼け残った幹からまた新しい芽が伸びはじめ、再びこんもりと繁茂するに至りました。この奇異な現象を目の当たりにした人々は、いよいよこの霊木を通じて信仰を深めました。

     良寛の歌

  いやひこの 神のみ前の 椎の木は 幾代へぬらむ 神代より かくし有るらし

  ほづ枝には 照る日をかくし 中の枝は 雲をさえぎり しずえはも いらかにかかり

  ひさかたの 霜はおけども しなとべゆ 風は吹けども とこしへに 神のみ代より

  かくてこそ 有りにけらしも 伊夜日子の 神のみ前に 立てる椎の木


 

 

津軽の【火の玉石】というのをみつけました。


 


 

やはり「言われ」は近くになかったので、写真を撮って通り過ぎましたが、

 

 

 

見つけました!青森県で火の玉だった石だそうです。
 

こちらも『やひ恋』さんのサイトを引用させていただきます。

 

やひ恋「彌彦神社にまつわる伝説」より

津軽火の玉石(つがるびのたまいし)

 慶長年間(1596~1615)、弘前(現・青森県弘前市)の城主、津軽信牧候が、江戸表より航路帰国の途中のことです。佐渡沖合を通過する際、にわかに暴風雨に遭い、みるみる大波のため、御座船がくつがえらんばかりになりました。かねてより、彌彦大神の御神威の広大さを聞いていた殿様は、激しく揺れ動く船中から、はるかに弥彦山に向かって鳥居奉納を誓って神助を願ったところ、たちまち海は静かになって、一同は無事、帰国の途につきました。それからは、毎年使いをつかわして礼参を続けていましたが、鳥居献納のことはそのままに過ぎていきました。すると不思議なことに、しばらくすると、毎夜のように、天守閣を中心に城内を二つの火の玉が大きなうなり声を発しながらぐるぐる飛び廻る、という異変が起こりました。城中一同は、毎夜毎夜、この現象にすっかり悩まされるという大騒ぎになりました。驚いた津軽候は、さっそく城内をくまなく調べたところ、この二つの火の玉石はちょうど大人の頭ほどの大きさの石であることが判明しました。津軽候は心中深く思いをめぐらしたところ、彌彦神社に自分の誓願を果たしていなかったことを思い出し、さっそく工事にかかり、元和3年(1617)9月、めでたく大鳥居を奉納したと伝わります。同時に、この霊威を示した火の玉石もいっしょに彌彦神社に納められました。現在、この二つの火の玉石は、俗に「津軽火の玉石」「重い軽いの石」と呼ばれ、表参道神符授与所前の一角に安置されており、昔から、心願のある時これを持ち上げられれば事は成就し、重くて上げられない時はかなわないと言われ、今も熱心にお祈りしている人々を見かけます。

 

 

鶏がたくさんいる鶏舎を通り過ぎ、

 

 

 

子供たちがたくさんいた鹿苑を通り過ぎ、境内を抜けて、

 

 

 

祓戸神社へ行くことにしました。
 

境内から道へ出ることろにこんな看板がありました。マムシ注意!
 

 

 

道を渡ったところにある祓戸神社に参拝客はいません。

 

 

 

こんにちは!

と恐る恐る小さな鳥居をくぐります。

うっそうとした木々の中を行くと、わぁっ!と驚くほど太い木が社へ続く道の半分を占めています。


 


 

何の木かな?(←調べたらケヤキでした)

とにかく、凄い太い木ですよ。見上げた感じが六本木ヒルズ(←たとえが都会っ子ですみません笑)。その奥に申し訳なさそうに小さな鳥居とお社が見えました。


 


 

 

ここなら、言葉が降りてくるかもしれません。

 



 

▽祓戸神社

(こんにちは。何か言葉を降ろしてください)

月(次)の話をしましょう。

今から、ここの次の扉を開けます。

(はい)

そのまま…%&$#

(祝詞?)

 

 

 

 

イツコリノミコト世に出ませよ。

ここの扉を開けたまえ!

母に代わって開けたまえ!

ひとつ、ふたつ、みっつと開けさせ給え!

ひとつ、ふたつ、みっつと開けさせ給え!

ここの力を本に入れてください。

(本ですか?←今日は持ってきました)

はい。

 


(ここ祓戸神社のエネルギーよ、この本に入り給え!す~っと入っていった)

縁を切る力を授けました。今のこの世に蔓延る悪と縁を切り給え!

ひとーつ、ふたーつ、みっつ、意識を上にあげたまえ~。

(背中が攣る~)

&%$…

(何を言っているのかわかりません)

***(←困った、なんて書いてあるんだ?自分の字がよめない)

(わかりました。ありがとうございました)



 

このあと、神社への参道へ戻るとき、

弥彦神社の神に「早く帰れ!」といわれましたので、そのまま神社を出ていくと、

大鳥居が見えるところがありました!


 


 

帰り道にあった上諏訪神社の大ケヤキをみて、

 

 

ここのケヤキも凄い木です。



 

途中で、今朝から何も食べていなかったことに気づき、焼き団子を食べて、
 

 

 

足湯を発見!電車の時間が迫っているのに、しっかり浸かって、


 

 

 

いそいで、駅へ向かいました。

神社の形をした駅へ着くと、もう、乗ろうとしていた電車は来ていました。

 

 

 

弥彦の神に「また来いよ」と言われ、「また来ますね!」と言って別れを告げて電車に乗り込みました。とっても良い神社でした。
 


 

帰りの車窓から見た雲は、磁気圏が乱れていて筋雲だらけでした。



 

 

 

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おしまい