12月1日、朝7じごろの南東の空の様子です。
今朝は筋雲が多かったです。
南の空の様子です。南の下の方に細かい雲が出ていました。
拡大すると、こういう雲です。
8時過ぎごろの東の空の様子です。
こちらは、西の空です。地面が動き始めているのかもしれません。
11時半ごろの南西の空の様子です。筋雲が多くなってきました。
(一番上の直線は飛行機雲です)
南東の空にも筋雲がありました。
北東の空の様子から、地面が動いているようです。
調べてみましたら、今日の未明にアラスカでM7の地震があったようでした。
【2018年12月01日 02時29分頃、北米西部 (米国、アラスカ州南部) 、北緯 61.3度/西経 149.9度、M7.0】
宇宙天気ニュースによれば、まだ、地球に影響は出ていませんが、コロナホールの影響がこれから始まりそうです。
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●彌彦神社のこと
『●11/29 年の神』の話のあと、しばらくしてから、
「千春よ。彌彦神社を知っているか?」と、年の神に言われました。
神社名だけは知っていますが、行ったことはありません。といいました。
すると、「千春の先祖神だ」と言います。
そういわれると、調べないわけにはいきません。
『彌彦神社』の公式サイトをみると、
『越後一宮 彌彦神社
御祭神:伊夜日子大神(いやひこのおおかみ) 御名 天香山命
由緒:
御祭神 天香山命は高倉下命(たかくらじのみこと)とも申し上げ、皇祖天照大御神の御曾孫(ひまご)にあたられます。父神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、母神は天道日媛命(あめのみちひめのみこと)で、天孫降臨に供奉して天降られました。
天香山命が、紀伊国熊野神邑に御住まいの頃、御東征途上の神武天皇を始め皇軍将士は、熊野荒坂津にて敵の毒気により昏睡に陥りました。この危機を救うべく、天照大御神と武甕槌命は天香山命に韴靈剣(ふつのみたまのみつるぎ)を神武天皇に献ずるよう夢の中で告げられました。韴靈剣とはかつて武甕槌命が国土平定に用いられた威力ある霊剣です。夢告に従い天香山命が昏睡している神武天皇に韴靈剣を献じたところ、霊剣の威力によって神武天皇を始め皇軍将士は忽ち昏睡から覚醒し、敵を撃破されました。天香山命の韴靈剣献上の大功により危機を乗り越えた皇軍は、その後次々と蛮賊を平定し、大和国に入られた神武天皇は、橿原宮で初代天皇として即位されました。
神武天皇即位四年(西暦紀元前657年)、天香山命は越の国平定の勅を奉じて日本海を渡り、米水浦(よねみずがうら・弥彦山の背後・長岡市野積)に御上陸されました。当地では住民に漁業・製塩・酒造などの技術を授けられ、後には弥彦の地に宮居を遷されて、国内の悪神凶賊を教え諭し万民を撫育して、稲作・畑作を始め諸産業の基を築かれました。
天香山命は越後開拓の祖神であり、またその御事績から、人々の魂・生命に溌剌とした活力を御授けくださる神様と言えましょう。』
饒速日命の息子で、その昔、越後を開拓した神のようです。
ウイキペディアによれば、
『天香山命
『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神である饒速日尊(天火明命)と、天道日女命(あめのみちひめ-)との間に生まれた神(天照太神の曾孫神)で、尾張氏等の祖神とされ、物部氏等の祖神である宇摩志摩治命(うましまぢ-)とは母神を異にする兄弟神となっている。『新撰姓氏録』にも見え、後裔氏族として尾張氏(左京神別等)を始め、伊福部氏(左京神別下)・六人部氏(山城神別)・津守氏(摂津神別)等を挙げている。
『先代旧事本紀』の「天神本紀」には、饒速日尊の天孫降臨に従った32柱の1柱に数えられ、「天孫本紀」では、紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市が比定地になっている)に住み、別名を「手栗彦命(たくりひこ-)」、または「高倉下命」というとあり、以下『記紀』に載せる「高倉下」の伝承と同じ内容を記す(詳しくは高倉下を参照)。』
『高倉下
『古事記』、『日本書紀』によれば、神武天皇とその軍は東征中、熊野で悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。高倉下がこの剣を入手した経緯は次のようなものである。高倉下の夢の中で、天照大神と高木神が、葦原中国が騒がしいので建御雷神を遣わそうとしたところ、建御雷神は「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、高倉下に「この剣を高倉下の倉に落とし入れることにしよう。お前は朝目覚めたら、天つ神の御子に献上しろ」と言った。そこで高倉下が目覚めて倉を調べたところ、はたして本当に倉の中に剣が置いてあったため、それを献上したのである。この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られている。
先代旧事本紀[編集]
『先代旧事本紀』巻5天孫本紀では、物部氏の祖神である饒速日命の子で尾張連らの祖天香語山命(彌彦神社の御祭神)の割註に「天降り以後の名は手栗彦命または高倉下命である」としている。その後『日本書紀』と同様の内容が記述される。』
で、あるらしい。調べていると、いろいろ、多岐にわたってくる系譜なので、なにがなんだかわからなくなってしまいました。
なんでもあれ、の系譜のようですよ。
つまり、わかったことは、私は饒速日大神(年の神)の子孫らしい…であるということでした。
いまさら言われてもねぇ~。どーりで、使われると思った。
つまり、「あきらめよ。逃れられないぞ!」と言いたかったのでしょう。
「なんでもあれ」の系譜ですから、本当に子孫であるかどうかも怪しいですが…。
知らない方がよかったなぁ~。あ~。
次の日の朝、腕がビリビリします。でも、賢所のようなビリビリではありませんでした。
ここで、陛下の言葉がよぎりました。「出雲神に気をつけなさい」です。
私、もしかして、また、殺されるのかしら?と思って、だれなのか、探ってみました。
すると「何度も来ているだろう?忘れたか?」といいます。
あ、あ、あの~、腕がビリビリして、痛くて辛いんですけど…、どちらさまでしたっけ?
と訴えましたら、「おお、そうか、すまぬ。これでどうだ?」と。
急に腕のビリビリがなくなりました。これは悪霊ではなさそうです。
はぁ?と思っていると「先祖だ」と。
ああ、…そういえば、それはそれは、昔、悪霊たちに取り囲まれていた時、助けてくれたのは、実家近くの八幡さまと、ご先祖さまでしたっけ。
その節は大変、お世話になりまして、ありがとうございました。
と、お礼をいうと、「思い出したか?」と言われてしまいました。
そうでした、その後、ご先祖さまのことなど、すっかり忘れておりました。申し訳ございませんでした。
反省…。
●11/30 ご先祖さま
(朝10時少し前ごろです)
命のことを話そう。
(なんの命ですか?)
悲しみを喜びに変えるいい方法だ。
(あ、まずは、ご先祖さまのことから教えてください)
太古からのつながり、国つ神の者には、高天原を見立てた、宇宙観を持っていた。
天に輝く太陽は国を照らし、作物を育て、国を肥やしていった。
風が運ぶ雲は、雨を降らし、地に潤いを与えた。
風が吹けば、遠い国から知らせが届く。風によって運ばれた種が芽を吹き、大地を緑にした。
陽は高く昇れど、留まることはなく、沈む。
夜になれば、陽の代りに月が輝き、地上を静かに照らす。
夜になれば、草木も眠り、一部の動物とカラスの世界が始まる。
太古からつながるこの営みは変わることがなく、続いている。
それを地上の国つ神々は「命」と呼んだ。
命とは営みなのだ。
人々の上を照らす太陽が地に繁栄をもたらした。
それと同じように、地上にも同じ思想を反映させたのが「スメラミコト」という思想だ。
(スメラミコトって思想なんですか?)
そうだ。思想だ。代々営みが続く思想。
それを守ることが国つ者の生き方なのだ。
(太陽が昇っては、沈み、また昇っては沈むを繰り返しているように、人も、生まれては死んで、再び生まれて、死んでを繰り返す…ですか?)
生きているうちに次の代になる人間を生み育てる。
それがどの生き物にも課せられた使命だということだ。
(なるほど~。まったく当たり前のことですけど、とても新鮮に感じます)
うまく命をつないでゆければ、世は平穏に営みが行われていることを意味する。
だが、なかなか、それを維持していくのは難しい。
生きていれば、病気もある。荒々しい嵐や地震によって命が絶たれることも、しばしばだ。
それをどうやって、回避し、次に命をつなげてゆくか、その営みをどう、次へ世代も続けさせてゆくか。
並々ならぬ「命」の継承をスメラミコトという。
(つまり、スメラミコトの命をつなぐために、みんなが一致団結、協力していけば、世の中は平和だということですね!)
したたかな願いだ。その思想ははかない。だが、守ることは己の命もつなぐことへとつながる。
天の運行は何があっても休むことはない。
陽が月に消されたり、月が赤く染まったりすることはあれど、止まることはない。
そうやって、脈々とつながれた命が、こうして、千春とまた交信してゆけるのだ。
(あ~、なるほど。私のご先祖さまも命を守ってきたということですね!)
働きはそれぞれある。
陽の働き、月の働き、星の働き、風の働き、波の働き、それぞれが、それぞれの働きをもって、ひとつの世界を継承してゆくのだ。
(それは自分の役割というものですか?)
なかなかよいぞ!
(あ!この感じ、スサノオの神じゃないですか!?)
賢いな。直接は千春の先祖にあたるものだが、スサノオも先祖だからな。
(というと、年の神さまも?)
まったくもって、そうだ。
賢くいきてゆくためには、命の根底にある思想を知らねばならぬ。
それを「感謝」というのだ。
(ふむ、自分がつながていることを「感謝」し、「感謝」を次の世につなげていくことですか?)
「感謝」とは、ただ思うだけでなく、それを実行することなのだ。
なに不自由なく暮らせることへの「感謝」。
日常を維持してゆく「感謝」。
ただ、祈ってばかりでは「感謝」は生まれん。
生きるための営みは、なみなみならぬ努力が必要だ。
常にもの事に対して、敏感に事を運ぶか。
この「運び」を「運」という。
「運」は「道」ともいう。
道は必ずしも平たんではない。
だが、先人の知恵があれば、乗り越えられる。
道が悪いのは、己の努力や情報収集能力に劣るからだ。
それを道のせいにしてはならぬ。
努力し、道を平たんにしてゆかねば、いずれ立ち行かぬことになる。
道が悪いわけではない。道をつくらぬ己の努力不足だ。
「運び」がなくなれば、命は絶たれる。
その道の整備をし続けることが命をつなぐことになる。
(ご先祖さま、なかなか、良いことをいいますねぇ~)
確かに、この世の者は命が何かを知らぬ。
生きるとは、どういうことかもわからぬ。
それを教える者もいなくなってしまった。
ただ、己の欲だけを満たし、足元をみない。
近くに大きな穴があっても気づかず。落ちたこともわからぬ。
先を知らせる者を疎ましく思い、何が真実か知る知性も失ってしまった。
それでは命は続かん。
スメラミコトという思想を、今一度、世に知らせねばならぬ。
いつかのように、生きる道を、また皆でつくってゆかねばならぬ。
(あ、そうか、運を向上させるというのは、個人的なものではないということですか?)
長い道のりだから、全体をみることは不可能になっているが、一人ひとりの運、道をつくることは全体の運も向上させる。
(もしかして、現代人は「運」というものをはき違えていると思います。
努力しないで、たやすく事が成就することを「運がいい!」と言います)
いかにも、道の悪さに気づかない方が生きるためには楽なことよ。
穴に落ちれば、もう、そこから動く必要はないのだから。
(では、現代人は穴に落ちることを望んでいるかもしれません)
運、道から外れることを願っている者が、なんと多いことか…。
饒速日大神が憂いているのは、そこなのだ。
千春は宮中のことに関わってはいけないと勝手に思い込んでいるようだが、皆が協力して宮中を支えてゆかねば、命は絶たれてしまう。
もっと国つ者はスメラミコトという思想を大切にしてゆかねばならぬのだ。
一つの「象徴」という考えではなく、それは生き方であり、命なのだ。
おしまい