「人を変える」必要性。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【世界のかたち、日本のかたち】大阪大教授・坂元一哉




■「人を変える」必要性

 私も憲法改正論者だが、あなたが改正を言う限り、私は反対する。

 岸信介元首相は、ある時、朝日新聞の論説委員から、そんなことを言われたそうだ。言われたときは憤慨した元首相だが、後からよく考えてみると、この論説委員の言うことも確かにもっともで、「やはり人を変える必要がある」。そう思うようになったと回想している(『岸信介の回想』文芸春秋)。

 政治の世界では、何をやるかだけでなく、誰がやるかがきわめて重要。岸元首相が、自省のうえに確認したのはそのことだろう。

 先週、菅直人首相が退陣を表明したと聞いたときは、首相もここに至って「人を変える」必要を得心されたのかと思った。だがその後のドタバタを見る限り、それはこちらの早とちり。首相が民主党の代議士会で強調したかったのは、大震災への対応に一定のメドがつくまで自分が責任を果たしたいということであって、メドがついた後の退陣のことではなかったようだ。

 震災復興と原発事故の収束にメドを付けることが自らの責任、と菅首相が思い定めていることを悪く言うつもりはない。ただ首相に熟考してほしかったのは、いまやその責任を果たすためにも「人を変える」ことが必要な時期に来ているのではないかということである。

 首相のリーダーとしての資質や能力については、さまざまな批判がなされてきた。だが「人を変える」必要があると思われるより端的な理由は、政権への国民の支持がいつまでも低迷していることだろう。

 大震災発生からちょうど3カ月になるけれど、各種世論調査における政権支持率の低さは相変わらずである。平時ならともかく、国難とも呼ぶべき危機の時だから、せめて国民の過半数の支持はほしいが、過半数を占めるのは常に不支持の方で、それもだいたい支持の2倍か、それ以上になったままである。3倍という数字になったこともある。

 そういう状態では、目前に横たわる大震災がらみのいくつもの巨大な課題に、政権が力強く取り組むことなどできるはずもない。とくに大震災前から続いている「ねじれ国会」の下ではなおさらである。野党の協力なしには、予算を除く法律は1本も通らないが、国民の支持が低迷するままの政権では、その協力の取り付けも容易ではない。

 「人を変える」必要は明白なのである。そのための動きを大義なき政争と見るのはあたらないと思う。

 むろん「人を変える」のは、あくまで国難に直面したわが国に国民の多数が支持する政権を誕生させるためでなければならない。菅首相に辞めてもらえばそれでよし、ということでは困る。

 すでに与野党の中から首相退陣後の政権について、期間限定の大連立という考えが出されている。諸般の事情を考えれば、それも一つの選択肢かもしれない。

 ただやはり理想は、なるべく早く衆議院の解散・総選挙を行い、国民の判断をふまえて新しい首相を選び、目前の巨大な課題に長期的に立ち向かうことのできる強力な政権をつくることではないか。私は仮に大連立になるにしても、その期間は可能な限り短いものであってほしいと願っている。(さかもと かずや)