皇族が陛下お迎え「ごきげんよう」
皇太子ご夫妻、きょう初の被災地入り。
天皇、皇后両陛下は5月30日、明治神宮会館(東京都渋谷区)を訪れ、社会福祉法人恩賜財団「済生会」の創立100周年記念式典に臨まれた。常陸宮ご夫妻と、同会の総裁を務める寛仁親王殿下も同席された。ひとつの式典に両陛下と複数の皇族方が一緒に臨席されるのは珍しい。総裁の寛仁さまは、常陸宮ご夫妻、両陛下のご到着をお迎えに。「ごきげんよう」とあいさつされた。
済生会は「恩賜財団」を冠することからも分かるように、皇室との縁が深い。同会は明治天皇の「恵まれない人々のために施薬救療事業を起こすように」という「済生勅語」と下賜金をもとに明治44(1911)年に設立された。代々、皇族が総裁を務め、社会的弱者への医療や福祉活動を行っている。
式典で寛仁さまは、同会に功績があった個人や団体を表彰された。
陛下は100周年の節目にあたり、お言葉を述べられた。お言葉では、東日本大震災に触れ「私どもは幾つかの地域で被災者を見舞う機会を持ちましたが、その折少なからぬ被災者から、救援の人々に支えられていることに対する深い感謝の気持ちを告げられました。そうした中に、済生会の救援活動も大きな役割を担っていたことに、感謝しています」と述べられた。寛仁さまは陛下のお言葉にお礼を述べられた。
皇太子ご夫妻はきょう4日、宮城県を訪問される。ご夫妻が東日本大震災の被災地に入られるのは初めて。自衛隊機で仙台空港に入り、岩沼市で被災状況を視察し、山元町で被災者を見舞われる。
岩沼市は空港に近い場所にあり、両陛下が視察された南三陸町などと比べると被害は少ない地域。宮内庁の野村一成東宮大夫の3日の定例会見では、「県、地元からの提案に沿って私どもが対応したということに尽きます」と、被災地側の主導で訪問先が設定されたことを説明した。
また野村氏は、過去2回の避難所ご訪問が、4月6日(春休み)、5月7日(土曜日)と、いずれもご夫妻の長女、敬宮愛子さまの学校がなかった日だったのに続き、今回も休日の土曜日となったことについても同様の説明をした。すると記者側から「県によると、宮内庁側から訪問日の指定があったとしている。どうなのか?」という質問が出た。
これに対し野村氏は「やり取りの詳細は控える。ポイントは現地の事情を一番考慮したことで、その上で私どもの都合に合わせて決めさせていただいた」と述べた。宮城県まで新幹線ではなく自衛隊機で入られることになったのも、警備の負担が少ない点などが考慮されたとのことだ。
宮内庁は、当日の体調によっては、雅子さまが同行されない可能性があるとしている。被災地に入られるのに当たり、東宮医師団が病気療養中の雅子さまに対し、何らかの「心のケア」をするのか? という質問については「うかがっていない」(野村氏)と返した。
一方、この会見では、愛子さまの登校時間が傾向として早くなり、「1時限目から登校される日が、ここのところ増えている」ことが明かされた。これまでは2、3時限目からのご出席が多かった。雅子さまのお付き添いは続いているという。
さて、今年も皇后さまが養蚕に取り組まれる季節がやってきた。先週の5月27日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、蚕に桑の葉を与える「給桑」の作業を、今週1日には、繭を作り始める直前の蚕を、わらなどで編んだ「蔟(まぶし)」と呼ばれる網に移す「上蔟(じょうぞく)」の作業を行われた。
給桑では、体長5~6センチに育った日本純産種の蚕「小石丸」に、皇居内で栽培している桑の葉を与えられた。「食べる音はするかしら」と、皇后さまが蚕に耳を近づけられる場面もあった。
上蔟では、5日前の給桑時に比べて、より太くなった「小石丸」を何匹も手に乗せ「いい蚕さんね。大きくて」と話しながら数匹ずつつまみ、皇后さまが自ら編んだわらの網に移されていった。
皇居の養蚕は、養蚕業を奨励しようと明治天皇の皇后、昭憲皇太后が始めたもので、歴代皇后が継承し、平成以降、皇后さまが引き継がれている。
三笠宮さまは2日、東京都港区の明治記念館で、「平成23年度日本・トルコ協会」の年次総会に出席された。
総裁で長男の寛仁さまも出席してお言葉を述べる予定だったが、お疲れのためお取りやめに。両国の発展と友好を願われる寛仁さまのお言葉は、同協会の会長を務める沢田浩・日本製粉会長兼社長が代読した。
寛仁さまが欠席となられた影響で、総会に続く懇親会から出席することになっていた三笠宮さまが、到着予定の時間を約30分早め、総会に急遽(きゅうきょ)出席された。三笠宮さまは同協会の名誉総裁を務められている。
三笠宮さまは95歳で、皇室では最高齢。行事で公の場に姿を見せることは少なくなられているが、日本・トルコ協会の行事は毎年恒例の数少ない機会となっており、多くの報道機関の皇室担当記者らが集まる。
総会に続いて開かれた懇親会には、三笠宮妃百合子さまも出席された。乾杯の発声は今年も三笠宮さまが行い、張りのある大きな声で「毎日の新聞を見ておりましても、世界中至る所でせめぎあっております。ところが、トルコと日本は古くからたいへん友好関係を保持しておりまして、それは世界に誇っていいところじゃないかと思います」と述べられた。
各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。
秋篠宮ご夫妻は5月30日、千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)で、千鳥ケ淵戦没者墓苑拝礼式に臨まれた。31日には、ホテルオークラ東京(東京都港区)で、「平成23年度日蘭協会年次総会・懇親会」に出席された。
秋篠宮さまは2、3の両日、山口県をご訪問。「第36回全日本愛瓢会総会・展示会 山口県防府市大会」に臨まれた。
常陸宮妃華子さまは1日、スパイラルガーデン(東京都港区)で、勅使河原茜家元継承10周年記念「KOKOROのかたち-勅使河原茜の花」をご覧になった。
三笠宮さまは5月31日、宮邸で、新任日本・トルコ協会副会長と懇談された。
寛仁さまは5月30日、明治記念会館で、社会福祉法人恩賜財団済生会創立100周年記念パーティーに臨まれた。
寛仁さまの長女、彬子さまは1日、訪問先の英国から民間機で成田空港に帰国された。彬子さまは現地時間の5月28日、オックスフォード大で哲学博士の学位の授与式に臨まれた。
高円宮妃久子さまと長女の承子さまは5月30日、東日本大震災で津波の被害を受けた、宮城県亘理町を訪問された。同町では、久子さまが名誉総裁を務める「日本水難救済会」の事務所が全壊。久子さまと承子さまは、同会の仮事務所の側にある海辺で献花し、関係者を激励された。
久子さまと次女の典子さまは1日、宮殿で、両陛下ご出席のもと行われた駐日外国大使夫妻との午餐に陪席された。
「空勇号」の長年の働きをねぎらわれる天皇、皇后両陛下=3日午後、宮内庁の厩舎(代表撮影)
千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式の式典にご出席された秋篠宮同妃両方殿下
=30日午後、東京都千代田区(瀧誠四郎撮影)
被災地の宮城県亘理町で献花される高円宮妃久子さまと長女の承子さま
=30日午後1時33分(代表撮影)
皇太子ご夫妻が初の被災地入り。
「寒い時期から今まで大変でしたね」
避難所を訪れ、被災者に声を掛けられる皇太子ご夫妻=4日午後、宮城県山元町の山下小(代表撮影)
皇太子ご夫妻は4日、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機を使って宮城県を日帰りで訪問された。ご夫妻はこれまでに東京、埼玉の避難所2カ所を見舞っていたが、被災地に入られたのは初めて。
ご夫妻はまず、津波で148人が犠牲になった岩沼市で、特に被害が甚大だった相野釜地区をご視察。ご夫妻そろって、がれきに向かい黙礼された。井口経明市長によると、皇太子妃雅子さまは「寒い時期から今まで大変でしたね」と気遣われたという。
続いてご夫妻は車で山元町に移動し、避難所の学校施設2カ所を訪問し、被災者を見舞われた。
ご夫妻は、床にひざをついて一人一人に声をかけられた。皇太子さまは、震災の影響で土木関係の仕事を失った男性に「お仕事が見つかるといいですね」、仮設住宅への入居を希望している男性に「早く入れるといいですね」と励まされた。
雅子さまは、津波で亡くした親族の写真を掲げていた夫婦に「残念でしたね。天国から見守ってらっしゃると思います」と述べられた。また、津波の話をしている最中に涙ぐんだ鈴木弘子さん(67)の手を約1分にわたって握り続け、「おつらかったですね」「大変でしたね」などと声をかけられた。ほかの被災者の話に目を真っ赤にしたり、ハンカチで目を押さえたりされる場面もあった。
山元町の斎藤俊夫町長は「避難所の皆さんは温かい励ましに感激し、これをバネに頑張ると言っていた。大きな力をいただいた」と話した。
被災地で黙礼される皇太子ご夫妻=4日午後、宮城県岩沼市下野郷(代表撮影)