川端康成の『伊豆の踊子』を初めて読んだのは、中学生のころだろうか。伊豆を旅する旧制一高生が踊り子と出会い、心が癒やされていくというストーリーに、いまひとつ共感できなかった。
▼明治32(1899)年に大阪市で生まれた川端は、2歳のときに父を、翌年母を失った。祖父母に引き取られたが、祖母とは7歳、祖父とは14歳で死別する。そんな生い立ちを知ったのは、ずっと後のことだ。
▼だから当時は、主人公の私(川端)が旅に出た理由を語る部分を、読み飛ばしていた。「二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪(ゆが)んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪えきれな」かった、というのだ。「孤児根性」とは、なんと悲しい言葉だろう。
▼平成7年の阪神大震災では、両親を失った子供が68人にのぼった。東日本大震災では、これをはるかに上回り数百人規模になるという。平日の日中に地震が発生し、高台の学校にいた子供だけが助かったケースなどが多いからだ。
▼両親が亡くなったことを知らされない小学1年の少年が、避難所で周りの大人に泣きながら聞く。「お母さんはいつ迎えにきてくれるの」。いくつもの避難所を訪ね歩いて、両親を捜し続ける小学生がいる。一刻も早く支援の手を伸ばさなければならないが、各地の自治体では、実態の把握さえできていない状態だ。
▼川端は、旧制中学から寄宿舎生活を送るようになる。学校が長期休暇に入ると、親戚の家から家へと渡り歩いた。ただどこの家も「お越しやす」ではなく、「お帰りやす」と迎えてくれたという。津波に両親を奪われた子供たちにはまず、笑顔で「お帰り」と迎えてあげられる、居場所が必要だ。