文献に見る「地震」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【国語逍遥】清湖口敏




八雲が世界に「津波」を発信


 日本人は古来、地震と津波の恐ろしさをことあるごとに書き留めてきた。岩波新書『地震と噴火の日本史』によれば、日本最古の地震記録が『日本書紀』に残っており、允恭(いんぎょう)天皇の紀に「五年秋七月丙子朔己丑、地震」とあるそうだ。

 天武紀には「山崩れ河涌(わ)く。諸国(くにぐに)の郡(こほり)の官舎(つかさやかず)、及び百姓(おほみたから)の倉屋(くら)、寺塔(てら)神社(やしろ)、破壊(やぶ)れし類(たぐひ)、勝(あげ)て数ふべからず」と、建物が無数に倒壊した様子が書かれてある。「大潮高く騰(あが)りて、海水飄蕩(うなつみただよ)ふ。是に由りて、調(みつき)運ぶ船、多(さは)に放れ失(う)せぬ」と、大津波によって船が多数流失した記述もあるから、これは相当の巨大地震だったのだろう。『日本書紀』にある「大潮」とは「津波」のことである。

 「なゐ(い)」は「地震」の古語だが、もともとは広辞苑が示す通り「地」を意味する語だった。「地震」は「なゐふる」と読まれた。「なゐ+ふる(震る)」で「地震」というわけだ。「なゐ」はやがて転じ、それだけで地震を表すようになった。

 地震のメカニズムなど知る由もない昔の人は、さぞ怖かったことだろう。鴨長明も『方丈記』に、海が傾いて陸地を浸し、家の壊れる音は雷のようだ、「恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍(はべ)りしか」と綴(つづ)った。これ以上の恐怖はないとおののくあたり、およそ隠者らしからぬが、同情はやはり禁じ得ない。

 地震に伴って起きる津波は、「強波(つよなみ)」からの変化▽「港」を意味する「津」に「波」がついたもの▽「津」と「水(み)」を「の」の意味の「な」で結びつけた「津な水」-などと、さまざまな語源説がある。

佐藤武義氏は『日本語の語源』で、「津な水」について「港に溢(あふ)れる海水と考えてもよい」とし、「中央語の『大潮』『高潮』に対し、『津波』は、津波常襲地域の太平洋側の土着語であり、それが次第に中央語化したものであろう」と解説する。

 「津波」は現在では、中央語化どころか、「TSUNAMI」として国際語化し、世界共通の言葉となっている。

 国際語化という点で思い起こされるのは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の書いた『生神様(いきがみさま)』である。これは江戸時代末期の安政南海地震で、紀州有田郡の濱口儀兵衛が田の稲束に火を放つことによって住民を津波から守ったという実話をもとにした著作である。著したのは明治29(1896)年の「三陸地震・津波」の後で、彼が津波の恐ろしさにいかに触発されたかが分かる。

 悲しいかな、今回の東日本大震災による死者・不明者数は、「明治三陸」を既に上回った。

 『生神様』には「この恐しい突然の海面の隆起は日本語では『津波』と呼ばれる」(平川祐弘訳、原文は英語)のくだりがある。この著作が、津波を世界に認知させる先駆けの一つになったことは確かだろう。

 『生神様』の一部は後に「稲むらの火」として小学国語読本にも採用され、多くの日本人が知るところとなった。しかし平成17年、外国の首脳から「日本の小学教科書には『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているそうだが…」と尋ねられた当時の首相、(八雲と同姓の)小泉純一郎氏が、実はこの話を知らなかったとの逸話がある。

 地震・津波の常襲国である日本の為政者にはぜひ、知っておいてほしい佳話なのだが。