【消えた偉人・物語】工藤俊作と上村彦之丞
英国の元海軍士官で元外交官、サム・フォール卿の『ありがとう武士道』(麗澤大学出版会)が、一昨年翻訳出版された。その巻頭にフォール卿はこう記している。
「私は、本書を、大戦中、私の命を救ってくださった、日本帝国海軍少佐、故工藤俊作に捧(ささ)げます。そして、武士道という偉大な精神をつくり上げられた日本およびすべての日本人に、深甚の謝意と尊敬の念を申し上げたいと思います」
工藤俊作(1901~1979年)とは、第二次大戦中活躍した駆逐艦「雷」の艦長(後に中佐)である。フォール卿はジャワ沖海戦(1942年)で日本海軍によって自艦が撃沈され、漂流する中、彼を含む英国海軍将兵422人が工藤の「雷」によって救助されたのだった。
この話は、恵隆之介氏の著書『海の武士道』(産経新聞出版)やフジテレビ「奇跡体験!アンビリーバボー」などで紹介され話題を呼んだ。恵氏によれば、工藤は幼少の頃、祖父母から子守歌代わりに軍歌「上村将軍」を聞き育ったという。「上村将軍」というのは海軍大将・上村彦之丞(ひこのじょう)(1849~1916年)のことである。上村は明治43(1910)年から使用された第2期国定修身教科書に登場するから、工藤少年はこの教科書からも上村のことを学び、生き方の“手本”としたことであろう。「博愛」と題する例話の中で、上村は次のように伝えられている。
「上村艦隊が敵艦リューリクを打沈めし時、敵の溺死せんとする者六百余人を救ひ上げたるは極めて名高き美談なり」
日露戦争蔚山沖海戦(1904年)で上村司令長官率いる第二艦隊が、ロシア・ウラジオストク艦隊の巡洋艦リューリク号を撃沈。同艦はそれまでに多くの日本商船や輸送船を撃沈し人命を奪っていたが、上村は波間に漂い溺死に瀕したロシア将兵627人を救助し、「これでこそ日本武士なれ」(「東京朝日新聞」=明治37年8月16日)と讃(たた)えられ、世界も賞賛した。この「博愛」的行動、武士道精神は工藤に受け継がれ、38年後の太平洋上で再現されたのである。(皇學館大学准教授 渡邊毅)