我が家に新しいTVがやって来ました。地デジ対応の、ブルーレイ内蔵型です。
しかし、地デジのアンテナはまだ立てておらず、アナログ波で見ています(なんのこっちゃ)。
まあ、でも、最新のTVは同じアナログでも画像が綺麗。すごいです。
さて、前記事の続編です。
運命と宿命について書きました。
変え得るものが運命。変え得ないものが宿命。しかし、その宿命さえも人は魂の計画書、ブルー・プリントの中に自らが書き込んだ「外せない」ものだという話でした。
つまり人の人生の中で、自らの「意志」が関与してない出来事など、基本的にはないということですね。
ただ、この話は非常に微妙なものを含んでいます。
たとえば変質者に殺されてしまった人。その家族。
こういった究極的な出来事にも適応させ得るかというと、
「それって自分の計画なの? あり得ないでしょ」
と思うのが普通です。
この問題については、かつて記事にしたことがあります。<何に意味を見出し、自分をいかに存在させるのか>をご一読下さい。
その記事の中で、私は現状、自分の理解するところで出し得る結論を書いています。
しかし、世界の奥行きは深いものです。
テロで殺される市民。空爆で殺される市民。政府と国が崩壊し、荒廃した国土の中で飢えて死ぬ子供たち。
日本にいても、増えてきた銃器犯罪などで巻き込まれて死んでしまうことだったあります。
妻や子が、そのような死に方をしてしまったとき、私が冷静に<何に意味を見出し、自分をいかに存在させるのか>というような記事を書けるのか? と自問したときに、何も答えが出なくなってくるのです。
理屈と感情は違う。
私も心のある人間の1人です。愛を持てば、当然、それを失ったときの悲しみも大きくなります。
人を愛そうとしない人、無関心を決め込む人。こういう人達は、本当は愛情深いのかも知れません。愛深く生きれば傷つくことも増えます。胸が張り裂けそうになることも。
だからこそ、無関心になろうとしているのかも。
愛して生きるということは、喜びも大きいけれど、辛いことも覚悟しなければならないのですね。
もしかすると、それこそが私たちがこの世に生まれてくる意味、理由なのかも。
おっと。
脱線しかけてますね。
軌道しゅうせい~。
運命と宿命がある。
では、運命と宿命とはホロスコープ・チャート上のどの部分なんだろうか、ということを今日は書くつもりでした。
現実的に考えてみると、たとえば家族。これらは宿命ですよね。絶対に変えられないもの。
あの父親とこの母親の間に生まれる。たとえ本人の魂が選んでいるとしても、これは生まれ落ちた瞬間からもう変えられないものとして決まっています。
たとえば4ハウスがひどい状態で、親は離婚している。自分と親との関係も無関心で冷め切っている。家庭運は最低である。
こんな運気も、枠組みとしては宿命です。こうなることは避けられなかっただろうし、またそれが計画でもあったでしょう。
しかし、その冷め切った親との関係をどうするか、というのは、本人の意志と選択に関わっています。
つまり、家族は宿命ですが、家族関係は運命だということです。
ここを改善できれば、その人の家庭運は良い方向へ転換でき、配偶者と築く家庭にもいい影響を与えるだろうということは、前に述べたとおりです。
同様なことは友人運や財運、子供運、社会活動運、健康運、結婚運すべてに関して言えます。
人それぞれ、どこが重要なポイントになっているかは異なります。
私が受けた印象では、土星や冥王星、月のノードなどが入っている星座やハウスは、その人の人生の中で「問題点」として浮上してきやすいように思えます。
つまりとくに宿命的に感じられる場所になろうかと。
実際、土星は現世的なカルマ、冥王星は集合無意識的なカルマを意味するともいわれます。
それらがある星座やハウスの意味するところのものとの「関係」。
変え得る運命は、ここにあると思われます。
それを洗い出し、再構築することが、占星術的にはもっともその人の向上につながるポイントだと言えそうです。

ところで今、ある歴史上の人物のチャートを研究しています。
もしかすると、この人なら、いわゆる運命さえも超越したところで生きたのではないか……。
そう思える人物です。
つまり占星術法則を超えた人間ですね。
占星術師がそれを否定するような材料を探すというのも変ですが、もともと私は占星術を「絶対法則」とは考えておりませんので。
