ドラゴンボールZ 神と神 | 誰がために金は減る

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とある人生の一端

17年ぶりとなる第18作目の『DRAGON BALL』劇場版です。
当時「東映まんがまつり」や「東映アニメフェア」として他作品と2~4本の同時上映で公開されていたため、単独上映は本作が初めてのこと。
更には、原作者であらせられる鳥山明先生が脚本の段階から参加されておられます。これも本作が初めてのことです。


この映画の存在を知った時の率直な気持ちは、嬉しい反面、不安も・・・でした。
『DRAGON BALL』という作品が絶大な人気を誇り、世間に巨大な旋風を巻き起こしていた当時、まさにその渦に嬉々として呑まれながら少年時代を過ごしていたワタクシは、『DRAGON BALL』には並々ならぬ想いがあるつもりでいます。


「面白い漫画」「優れた作品」を挙げろと言われれば、10や20では足りないほどの候補は思い当たりますし、その中から1つを選ぶのは至難ではありますが、「好きな作品」を1つ挙げろと言われれば『DRAGON BALL』以外を選択することは難しく、また仮に『DRAGON BALL』を選べなかったとしたら、「そんな自分なら死んだ方がいい」と激しい自己嫌悪に陥ることでしょう。
この作品には半生における大恩があると言っても過言ではありません。


それならどんな形であれ、新作を目にする機会に恵まれたことは喜ぶべきことだろう。とは、ならないのが複雑な(面倒臭い)ファン心理というもの。
1度完結した作品を今再び、ってのがどうもね。それがやむを得ず不完全な形で止まってしまっていた作品ならば話は別ですが、『DRAGON BALL』に至ってはやり過ぎるところまでやり尽くしていますからね。


もうよろしいではございませんか。と思わなくもないのです。
現代の子供たちにも広く知られていることは嬉しい限りなのですが。


前置きが長くなりましたが、ストーリーは、
予言魚の予言を信じて長い眠りから目覚めた破壊神ビルス。
その内容はビルスの強敵となり得るかもしれない「超サイヤ人ゴッド」なる者が現れる、とのこと。


これを確かめるべく、付き人であるウイスと共に現代のサイヤ人、孫悟空やベジータらのもとへと向かう。
界王星でその本能からビルスと試合を臨んだ悟空を難なく一蹴。


地球ではただ1人ビルスの恐ろしさを知るベジータの涙ぐましい接待も虚しく、ビルスが所望したプリンをブウが独占したことにより彼の逆鱗に触れ、その場でブウを圧倒。
ベジータ、孫悟飯、ゴテンクス、ピッコロたちも参戦するも、あえなく敗戦してしまう。


お目当ての超サイヤ人ゴッドとも会えず、地球を滅ぼして退散しようという時、皆の前に悟空が現れ、神龍への願いで超サイヤ人ゴッドについて教えを乞うのだった。
・・・というお話。


これまでと異なるのは、ドラゴンボールを殺された人々や、破壊された街の復活に使わなかったことが1つ挙げられるかと。
そもそも今回は誰も死なないし、壊れるのは界王星とカプセルコーポレーションの敷地内に限られるので、その必要がないのですね。


節々に鳥山先生の持ち味であるシュールな笑いが散りばめられていることも特徴的。
劇場はチビっ子(とその保護者)でいっぱいでしたが、そのシュールな笑いをけっこう理解しているところにちょっと驚きました。
チビっ子のリアクションは素直で感心させられる。


圧倒的な戦闘力と「破壊神」なる呼び名とは裏腹に、面倒臭がりで食に目がないビルスと、彼以上に食に目がなく、ビルスに子供をあしらうかのような態度で接するウイスは、どこか憎めないキャラクターで、これまた先生ならでは。
通常ならプリン1つで腹を立て、挙句世界を滅ぼそうなんて登場人物を出そうものなら「説得力がない」と非難の的でしょうけど、鳥山ワールドに掛かれば不自然に感じない。
これは『Dr.スランプ』より作り上げてきた世界観の賜物と言えましょう。


一方で、う~ん・・・なところも。
『DRAGON BALL』に限ったことではないですけど、原作の漫画とアニメでは与える印象が異なります。
先生の手が加わることで、もう少し原作の雰囲気が楽しめるかと期待していたのですが、まだまだアニメの比重が大きかったように見受けられました。


悟空(と言うかサイヤ人)は宇宙空間で活動できないよね?とか、雌雄同体のナメック星人であるピッコロが不純異性交遊に苦言を呈するような感性を持ち合わせているのか?とか、ブルマの年齢設定間違ってない?とか、叶えられる願いの数が・・・などは目を瞑るとして、一部のキャラクターに違和感があったのは残念。
これまで一切描かれなかった時期のお話なので、その間に性格の変化があった・・・と考えることもできるのですけど、懐かしい彼らとスクリーンで再会、って気持ちには至れなかった。


それには声の影響もあったのかな。
担当する声優が交代してしまったものは致し方ないですが、初登場から長年演じられておられる方々にも変化が見られたのが何とも・・・月日の流れを呪わずにはいられません。
この声こそ絶対無二の正解のはずなのに・・・録音の環境があの頃と違う(たぶん)からか、いっそ気のせいと思いたい。


エンディングでは原作(完全版)の名シーンが次々と映し出されていたのですが、たいへん失礼ながら、ここが最も胸を打ちました。
ここだけあと4回くらい見てから席を立ちたかった。


などと、旧世代に生きる古い人間の戯言はさて置き・・・
隣の席に目をやると、劇場が明るい間はシートにどっぷりと背中を預けていたチビっ子が、本編が始まると前のめりになって見入っていました。
その姿1つだけでこの作品は成功と言えるんじゃないかな。


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