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神田勇哉のブログ

フルーティスト 神田勇哉の日記



今日はフルート音楽全然関係ないYoutubeの動画の話題。


とある動画をみて強く思う所があった。




私はカジサックの動画が好きでよく見ていた。



とはいえ家族もののネタには全く興味が無くて、


「カジサックの部屋」と呼ばれるコーナーの

他の芸人をゲストとして呼んでの絡みが、

業界の裏側、や芸人かくあるべき、という話が聞けて勉強になるので、よく見ていたのだ。


(私のインタビュー動画も実はそれを参考にしている。

MCとしての話術は月とスッポンだけど…。🫣)




だがしかし、どうも相方のキングコング西野さんがよしもとを退所した辺りから

よしもと芸人をゲストとして出せなくなったとか、


そんな感じの大人の事情で

「カジサックの部屋」の投稿は少なめになっていき、


たまにゲストトーク回があったとしても

知らないYoutuberとかで、


そうすると内容がいっきにつまらなくなるので、

だんだん見ない様になっていった。



Youtubeのサジェスト検索ってのは優秀だけど残酷なもので、

そうなると途端に関連動画やトップページのオススメにもカジサックの動画が登場しなくなるのね。





そんなこんなでしばらく他の動画を見て過ごしていたのだが、

ニュースにて情報ゲット!


なんとカジサックとあの ひろゆきが生でコラボするというではないか!?




久々にどんなんなるかと思ってワクワクして見てみたら…



ずーっとヒカルとひろゆき二人で

カジサックをいじり続ける

イマイチな動画だった。



カジサック「いやぁ面白い回になりましたわー」

ひろゆき「え?他の回はつまらなかったの?」


「ひろゆきさんて、可愛い人よね」

「え?どこが?具体的に教えて」


「うちのスタッフたちはホンマ家族なんですわ」

「お金あげてるから仕事してるだけでしょ」


「いや〜ひろゆきさんはホンマするどいわ〜!!」

「って事は今まで来たゲストはみんなするどくない奴らだったって事?」



とかいう言葉尻のいじりが多すぎた。




こういうのって、僕が大学くらいはテレビでしょっちゅうあって


石原良純さんや、山崎邦正さん

出川哲郎さん、上島竜兵さんなどの

イジられてうまくリアクション出来るタレントさんが活躍する構図は、見ていてとても楽しかった。


一説によると、そうやって人をいじって笑いに変えていくスタイルは

今まさに難局を迎えているダウンタウンが生み出したと言われているが、


それより昔 欽ちゃんの時代には無かった?

と言われるとそんな事はないと思うんだ。


いじめは人間の本質だからね。




テレビ局にて収録が終わったら、

いじった人もいじられた人も

お疲れ様でした〜って仲良くしてる。


スタッフも「ホントに面白かったよ!」

って言ってる。

芸能界ってのは一応そんな世界だったのだとは思う。



ただ、視聴者にはそれが分からないので、

「イジる事は楽しい。」

と子供が考えるのは当たり前。


思い出すと中学高校の時なんかは、

家とテレビと学校しか世界が無い時代なわけで、


友達内の話は基本コンテンツの話か

仲間いじり。


今思い出しても

「あの時は何が面白かったんだろ?」

と謎である。


ある意味コミニュケーションを学ぶ良い環境ともいえる。




という事で、時を経てテレビでそういうイジる台本がなくなっていったのは

コンプライアンスという巨人に飲まれていき

消えるべくして消えていった訳である。 



今は石原良純さんをテレビで見ても

全くイジられる気配は無いし


出川もみんなから尊敬される

リアクション芸人の大家となってしまった。





そんな私も飲み会で

人にツッコんでイジる回しもした事あるし

同様にガッツリとイジられた事もある。


全て記憶に残っている。


イジる方は気持ちいいけど、

イジられる方はホント嫌…。



「イジられる」ってのは、ある意味

その場の笑いを生み出すチャンスを貰ってるって事でもあるから

うまく捌けた時は気持ちいいから

「美味しい」とも言えるのだが、


イジる側のセンスなかったり、悪意があったり、しつこかったりすると、

それはタダのいじめであり、コッチとしては

とてもつまらない会になる。



という事で、テレビでいじりを控えるよりも、

世の中全員が「いじり」と「いじられ」を経験すれば良いと思う。


そうすればおのずと理解する。





話戻って…


上の動画では、カジサックは流石プロの芸人。


ヒカルのコラボ動画と合わせても

2時間以上、雑ないじりを全て

おどけて笑いに昇華させて行った。


改めて尊敬。



でも私が見たかった流れと全く違っていたし

本人達も

「こんな流れになるとは思わなかった」

と言っていたので、


原因はとにもかくにも

泥酔して収録にやって来たひろゆきのせいだと思う。




やっぱりお酒は

気を大きくして、恥を忘れさせて

人の持つ面白さをさらけ出す。

そんなパワーがあるが、


どうしても頭の回転は鈍くなる。



なのでトーク収録に酒を使うにしても

ほろ酔い位がちょうど良くて、


いつもビール片手に配信しているひろゆきも

泥酔となるとポンコツでしかなかった。






ちなみに…関係ないけど

この動画でポロっと喋ってた


ひろゆきのアベマのアフリカ行ったロケは

ギャラ800だって…。😨


これまためっちゃくちゃ参考になる…


松本に帰省。


居石先生の生徒さんのアンサンブルをいくつか見させて頂いた。



私なんかが「指導する」なんて言うのもおこがましいけど、


その時々のメムバーや目標によって

アドバイスを適切に変える事が出来るようになった。




その理由は他でもない、

こうやって定期的に居石先生が呼んで下さって

経験の場を与えて下さるからである。



生徒のみなさんそれぞれに

素敵なキャラクターがあり、生活があり、フルートを吹く理由がある。




今までは

「ワシはプレーヤーだ!」

「ワシの言った通りに練習すりゃいんだ」

みたいな感じの所もあった気がするが


その姿勢では、 

やる気がある生徒さんの成長への近道にはなるけれど、

そういう次元でフルートを吹いてない方の方が大半。




世の中には、フルートのレッスンにきてお喋りをするだけの方だっている。


私としてはそれでも別に良いと思うが、

こちらもフルートのプロで、

お金を頂いてる、と考えると

実技にも少しは熱を入れたい所…



先生が「厳しいとラク」の線引きをどうするか、とか

では音大生はどう扱うべきなのか、とか

ハイアマチュアはどうすべきなのか、とか


この辺の見極めは長年レッスン経験が鍵を握るのだろう。





生徒さんって基本は言う事を聞いて下さるので、

(フランスでは生徒が普通に言い返す。)

大変ありがたい事。



だが「先生」と呼ばれる仕事は

周りからチヤホヤされ続けるため誰しも「うぬぼれる」ので


決して勘違いしてはいけない!と

自分自身を戒めるように努めてはいる。



自分はフルートを持ったらそれなりに演奏出来る人間だが、


実際は お金も稼げない、人も救えない、人の役に立たないの

ナイナイ人間である事は

24時間 肝に銘じておきたい。










先日私のYoutubeにて楽しいお話を聞かせて下さった佐藤直紀さんのツイートに
こんなものがあった。






全く同意です😁‬

私は楽曲の事前練習はiPadに保存した楽譜で行うため、
リハーサル初日に紙の楽譜と対面をすると
一大作業である
「消しゴムかけ」から始まる。

オペラみたいにページが大量だと、その日のリハーサルの終わりには私の譜面台の下に‬消しカスの山ができる。



‪書き込みとは本来、‬そのオケそのオケの
受け継がれるべき財産なのだが、

意味が分かる書き込み以外の
何が言いたいのか分からない書き込みは
本当にいかん。


‪例えば、マル。

佐藤さんは「マルは練習した事にならない」
という言い方で皮肉っているが、

マルって、例えば指揮者に
「モーア!ピアーノ!ピアーノ!」

って言われた時にピアノマークをグリっと丸で囲むって経緯が想像出来るが、

それってその時のコンサートなら良いが
後のコンサートで使う時に、他人が見ると
ただの邪魔な落書きでしかない。


あとマルって形が消しゴムで消しにくいのもダメ。笑
例えば直径7センチのマルを消すために
上上 ヨコヨコ したした ヨコヨコ
に加えて 斜めの動きも入れないといけないのだ。




オーケストラプレーヤーの書き込みってのは十人十色で、

テムポが動く所に
メガネを描く人もいれば目玉を描く人もいる。

長休符、 例えば 16小節を
「8/8 」と書く人もいれば

「8 cl  」みたいに
8小節目からクラが入るよ!
って書き方をする場合もある。

指揮の振り分けも「 in4 」と書く人もいれば
線で  「 //// 」と書く人もいる。

どれでも意味の通じる書き込みなら良い。
大歓迎。


でも例えば
振り分けをフランス語で「à 4」と書いたり
他の楽器をドイツ語で「Kl 」とか「Pauke」
とか書いたりするのは僕は賛成出来かねる。

東フィルの譜面には日本語で書き込みをするが、
海外から来た貸し譜には英語で書き込みをするよう気を使う。


‪同じく海外から来た貸し譜に‬
‪しょーもないギャグが書いてあると‬
‪それはそれで残します。笑‬

「こんなんで面白いんだ…」みたいな🤣




‪そして‬たまに見かける「名前のサイン。」

楽譜の最後に
‪「1990 2月ナントカフィル 山田太郎」‬
みたいなの。

書く人はいつも決まっていて貸し譜には
いつも同じ人のサインがある。


ほぅ。この時この楽譜は
ナントカフィルにあったのか〜

と歴史を感じる。
(私は特に書こうとは思わない。)



‪そんな名前の書き込みでも
たまーに消されている跡があったりして

おそらくライブラリアンか、
その後楽譜を使った奏者が邪魔だから消したのだろう。


その経緯を想像すると…

「余計な事書くんじゃねぇ」

って言ってるような冷徹さを感じて
‪ちょっと寂しくなります。😅‬