幻覚や未来のカメラを見て超絶リアルに錯乱・完全に狂ってしまう。
ナイフや斧で壁やベッドなど部屋中滅茶苦茶に破壊し、
独り言を言いながら泣き叫び、人々に向かって空中を無様に空振りで殴りまくり、
銃で16人以上を無差別大量殺人し、
自分のしたことに気付き放心状態になった時射殺されるキチガイ。
血走った目の演技や、パニックで無様に声が裏返りながら泣き叫ぶ様子など、初めて見る表情や声色ばかりだが、本当に本当にリアルすぎて、木村拓哉と無差別大量殺人犯という似ても似つかない組み合わせのはずが、(いつも撮られて嫌な想いしてきた人だから…いつか木村拓哉もこうなっちゃうのかもしれない…)と錯覚してしまいそうになった。あのリアルさは隠し撮り。
無差別大量殺人犯②はコチラ
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パパラッチとして野望を持ち、芸能人のプライベートをかき乱すことに、罪悪感を感じていない男。
調子に乗っている。
★★★撮られる側として散々な目に遭ってきた木村拓哉が、最も嫌う男である。
この前半の芝居は、嫌いな人物を演じているためか、振り切れている感じがする。かなり嫌な奴という風に映る。
でも、ピューリツァー賞を獲るというパパラッチの純粋な野望も同時に表現しており、リアルなのが凄い。
純粋な野望故に、芸能人の人権にはおかまいなしな態度が、しっかりとパパラッチ側の視点から表されているのだ。
『パパラッチ!どういう意味か分かるか?虫けらだよ!』
と言われた時の怒りなどもそうである。
だが、女性歌手が週刊誌のスキャンダルを苦に自殺した前後(自分がパパラッチした芸能人ではない)から、謎の隠しカメラに悩まされ始めることになる。
逆に、自分が撮られる側になってしまったのだ。
『トイレの落書き』同様、恐怖心があまりにリアルに伝わってくるため、普段ホラーが平気な私だが、どうしても怖くて先が見られず、何度も中断してしまった。
でも、木村拓哉芝居研究員として、見なければならないと、勇気を振り絞った。
「俺は有名人じゃない!そんな俺を撮って何になるんだ」
部屋中滅茶苦茶に破壊しながら、イってしまった目で独り言を叫ぶ。
木村拓哉は有名人なのだが、演技とは思えない程の感情移入・狂いっぷり。
★★★台本を読んだ時、実際木村拓哉を悩ませるパパラッチ達に、撮られる側が普段どんな気持ちでいるか、分からせようと思ったのだろうか?
生半可な熱演ではないのだ。
当事者として、中途半端に演じることは許されない、自分が許さない、と思ったのだろうか?
気迫が凄まじすぎる。
「ただのフィクション、所詮フィクション」
では片付けられない問題を、提起されたような気がしてしまうのだ。
★★★1995開放区
「写真週刊誌だなんだで取り上げてい・た・だ・い・た・こと。話題になったことが、てめえのことじゃなくて、てめえ側にいた人間のことだったのが、一番キツかった。自分のことだったら、転んでも「あーあ」って起きることができるけど、人を起こすのって、それよりずっと力がいるから。
俺、自分は弱い人間だってことを、嫌っていうほど十分わかったから。いろんなこと書かれて、その上、誰かにうちの郵便物まで全部開けられて、ほんとに気分が滅入ったこともある。でもそんな時、強くなろうとすると、つらいし苦しいのが、すごくよくわかった。
人は弱ってる時、強くなんかなれないよ」
他にも、「あなたは公人だから、こっちは撮る権利があります」と面と向かって言われ、違和感を感じたというようなことなども、開放区では語られている。
普段、(でも俺は芸能人だし、我慢するしかないのか…)と苦悩し葛藤し、抑圧し続けてきた素直な気持ち・・・
(俺だって、芸能人である前に、人間だ)という気持ちを、
今だけは解放していいんだと、思ったのだろうか?
言葉では表せられない程の恨み辛みを、ぶつけたような芝居だと感じた。
普通に冷静に考えれば、木村拓哉は無差別大量殺人など絶対にしない。この男は、木村拓哉と最もかけ離れた人間である。
でも、パパラッチを見た私は、木村拓哉がいつか本当に無差別大量殺人犯になり、死刑囚となり、ニュースで大きく取り上げられるのではないかと、本気で心配しかけてしまった。
あまりに神憑った演技力に、完全に飲み込まれてしまった。
人々が自分にカメラを向けているという幻覚を見る、真っ赤に血走り完全に狂った視線(幻視系)
その他の視線の分類はこちら
誰もいない目の前の空間にナイフを振り回し、独り言を叫び続ける。
猫背で部屋の隅に蹲っている。放心状態のよう。
★★★ここから先、幻視の視線が続く。思い込みにより、狂ってしまう。
★★★幻視の視線が続きます。
★★★幻視の視線が続きます。
★★★幻視の視線が続いています。
無差別大量殺人犯②へ続く