ヒカリは幼稚園を卒業すると、そのまま幼稚園に隣接する小学校へ通うようになった。
つくづく運命によって導かれているのだと実感したのは、家から小学校の門までわずか十五秒の近さだったからだ。
特に小学校に近いからこの場所に引っ越してきたわけではなく、家賃や間取りなどの条件が良かったために、ここを選んだだけだった。
つまり偶然である。やはりそこにも見えざる計画と配慮があったと言わざるを得ない。
そのほかの変化といえば、モニカが市役所で職を得て働き始めたことだ。それによって生活は少し楽になり、向上した。
その後、何事もなく月日が過ぎ、気がつけばぼくはいつの間にか四十二歳になっていた。
この間、事業について特に進展はなかった。むしろその逆であった。
バンガローは荒れ果て、それを支える柱の半分以上は腐りかけていた。ホームページを閉鎖し、トラックも廃車にした。
■ フォト 「ユニバ・デイトリップ」
小学校入学式のヒカリ(6歳) (明石市東人丸町 2009年)