前向きで建設的なところはなく、要するにそれが“工場”というものだった。ぼくはそんな世界に放り込まれてしまった。
「これはなにかの罰なのか……」
絶望的にさえなっていた。
せめてもの救いは労働時間が短かったことだ。ぼくは朝の九時から午後二時までの五時間だけ働き、その代わり昼食は家に帰ってから食べた。
他の従業員が十二時に昼食をとっている間もセットの機械を動かし続け、こうすることによって作業は止まることなく効率がよかった。
休日は日曜日に限られ、それ以外の休みは元旦のみだった。盆前後の最繁期にもなれば日曜日に出勤することもあった。
賃金は安く、労働環境も決していいとは言えなかった。気がつけばぼくは夢と理想から最も遠い場所にいた。