僕らの窓には未来が映る | ☆こどもココロの天井裏☆ こころカフェゆるの木別館

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かつてここには扉はなくて
ただ海が広がっていた
そういう
この世界

安房直子さんの「きつねの窓」という物語を
子どもの頃にお読みになった方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

主人公が、きつねの子にもらった素敵な窓を覗くと、
懐かしくて切ない子どもの頃の風景、
今はもう会えない大切なあの子、
当たり前のようにそこに居てくれたお母さんの姿、
なくしたくなかった過去の情景を見ることが出来るのです。

国語の授業でこの物語を朗読してくださった先生が、
子どもたちにたずねました。

君たちがもし、この窓をもらったら、そこに君たちは何を見る?
君たちは、何を見たいですか?

子どもたちが真っ先に口にした言葉は、
「未来!」

そう、彼らにはあまりにも過去は短く、
失ったもの、懐かしむものなんてそれほどないのでしょうね。
それに比べて、未来は、どんなに大きく、遠く、不思議に満ちているように感じられることでしょう。

「そうか未来か・・・でもこの窓は、未来が見える窓だったかな?
そう、過去が見える窓なんだよね。今はもう会えない、見ることができない、
そんな人やものが見える窓だよね。」

先生のその言葉に、子どもたちは考え込みますが、やがて
ぽつり、ぽつりと手が上がり始めました。

「去年、しんじゃった猫」
「小さい頃に飼ってた犬に会いたい」
教室のあちこちで、ペットのことを思い出した子どもたちが、声を上げ始めます。

ペットの命は私たちより短いから・・・
今はもう帰ってこない過去としての体験をした子どもたちがいるのです。

やがてある女の子が言いました。
「しんじゃったおばあちゃん。生きてるときは私、反抗しててあまり優しくできなかったから・・・」
そこまで話して言葉に詰まりワッと泣き伏してしまったその子につられるように
何人かの子が鼻をすすりはじめます・・・

彼らにとって、それらの出来事はとてもとても近い、
振り返ればすぐ後ろにあることなのかもしれませんね。

子どもたちの姿を見ながら
自分がどれほど過去を積んできたのかを
どれほど過去を身にまとい、
いつから未来をそれほど見なくなっていたかを思いました。

子どもたちの窓に映る未来、
同じ窓を覗いても、
私はおそらくもう彼らと同じ風景を見てはいないのでしょう。
私は、私には見えないその子どもたちの風景を
大切にしたいと思いました。