カテキョ | ゆうちゃんママのひとりごと

ゆうちゃんママのひとりごと

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うんとね。
ママ、週に1度なんですが、家庭教師してるんです。
社会と理科と国語をちょこちょこね。

自分の自由にやりたいので、お代は頂いてないんだけどね。
(自由にやりたいってのは口実で、実は責任回避ってのもあると思うけど・・・)
(この間ビールとか頂いちゃって、かえって気を遣わせちゃってる気もするけど)


ずっと前からお子さんの発達障害を気にされているってのを聞いていてね。
親御さんがとっても悩んでいて、どうしても子供にきつくあたってしまうってのを聞いていたもんで。

学習障害じゃないかと思う。
このままだと高校もいけないんじゃないか。
就職先も見つからないんじゃないか。


我が子が可愛いからこその当然の心配だよね。
とってもいいご両親なのです。

家庭教師も塾もいろいろやっているけど、効果が上がらない。
本人のやる気もあんまり出てない。
やっぱり学習障害の専門機関で見てもらったほうがいいんじゃないか。


いいお母さんだよね。
子供のために最善の策をとってあげたくて、ずっと考えてるんだもの。

でも、お母さん自身が悩んで悩んで、行き場をなくしているような気もする。
「言っちゃいけないと思いながらも、子供に辛い言葉を投げかけてしまう。」っていうのもちょっと気にかかったの。

良い学校に入れたいとかではなく、普通に高校に行って、
ちゃんと職について、幸せな家庭を築いて欲しい。


子供の幸せを願っているんだよね。
思いとは裏腹の言葉を浴びせかけてしまうってのも、同じ親としてすごくよくわかる。

でもさ、専門機関にかかるにしても、アドバイスするにもその子の状態がどんなかをちゃんと把握できていないとアドバイスもできないじゃない。

とりあえず、勉強を見てみようか。

と、1ヶ月ぐらい前から週に一度見させてもらっているのです。


ママの見解。

学習したことが定着しにくい傾向はあるけれど、著しい学習障害が見られるわけではないように思う。多分、ずいぶん前から自信をなくして、学習することを放棄してきたように思う。

記憶タイプとしては、意味からではなく、形や音に頼っている気がする。

音読を長いことさぼってきている。
漢字があまり読めないから、多分難しい説明文などの文章の意味はほとんどわからないと思う。



でもね、
音読させてみると、前に出てきた漢字はちゃんと前に戻って確かめて読もうと努力するし、記憶に関しても条件付けさえしてやれば、同じタイプの問題にはちゃんと答えることができる。

記憶タイプに関して、お母さんは不安を漏らしていたけれど、
覚えられれば、それがどんな方法だって構わない。
全く覚えられないわけじゃないんだから、自分のやりやすい覚え方でいいと思うのだ。

今日はパソコンを使ってみたのだけど、ブラインドタッチをしてみようと意欲的にトライするしね。

決して投げやりなんかではない。
自分なりにちゃんと努力しようとしてる。
けなげでかわいいじゃないかっ!

うん、大丈夫。

今の時点で「知識の応用」は難しいとしても、基礎学力に関しては今後つけていくことができると思う。
実務能力も基本的なことに関しては、多少時間はかかるかもしれないけれど、きちんと教え込めば大丈夫なレベル。日常生活にも社会生活にしても特に大きな問題はないと思う。


と、ママは判断しました。

なにより、自信をつけさせてやることが一番大事なんだと思う。

その後、ママの紹介した専門機関にお母さんがひとりで相談にも行ったのだけど、(本人が”僕は障害者じゃない”って頑なに言ってたみたいだし、それが自分を保つ最後の砦なんじゃないのかなとママは思ったので、相談に行くのならまずはお母さんだけで行ってみたらどうかなとおすすめしたのです)

専門家の方にも、「障害」と決め付けてしまうのではなく、自信をつけてあげることが大切なんじゃないかと言われたみたいです。どうやら具体的な解決策は出してもらえなかったのかな。テストして判別する方法もあるけれど、本人がそれを受け入れられるかという問題もあるみたいで、著しい発達障害が見られない場合は慎重に対応せざるを得ないようでした。


というかね、
ママの考えなんだけど、
学習障害なんて、多かれ少なかれ誰しもあるものだと思ってるから。
ママだってあるもん。
自分にあった方法をいろいろ工夫してみればいいのだ。

我が家でも、長男の将来を心配した父ちゃんがきちんと診断してもらって、トレーニングを受けさせたほうがいいんじゃないかっていう話を持ちかけてきたけどね。診断テストとか分類するための診断するものはあるけど、その後があんまりないんだよね。大事なのは診断そのものじゃなくて、その後なのに。それにさ、ママね、人間をペーパーテストで診断なんてあんまり信用してないの。

人間はそれほど複雑なもので、無限の可能性を秘めていると思う。
データで分類するなんてナンセンスなんじゃないのかなって思うの。

いや、それで本人が納得して、生きやすくなるなら大いに賛成よ。
でも、劣等感を感じて生きることになったり、その後の可能性をシャットアウトしてしまうのなら、やる意味がない。



彼ねとっても男前なんですな。
ジャニーズ入れるっしょってくらい綺麗な顔してるの。
運動神経抜群だしね。

え?そんなの、関係ないっしょ。

って思うだろうけど、おそらく社会に出たときにこれはとっても武器になると思うの。
もっと自分に自信を持って、ちゃんとした実務能力をつけてやれば、社会でも問題なくやっていけると思うのだ。結構気を遣えるところあるしね。うちの長男君よりもよっぽど周りが見えてると思うよ。

こんなの将来関係ないっしょ?的な勉強も、その知識自体は将来に必要なくても、脳みその使い方を覚えるトレーニングと思えばいいのだ。

彼とお母さんに最初に言ったのだけど、

忘れてもいいんだよ、人間というのは忘れる生き物なんだから。
でも、覚えようと努力したものは、全くなくなっちゃうわけじゃないの。ちゃんと脳みその奥深くにしまってあるんだよ。だから、その都度思い出せばいい。
人間の脳みそというのはとっても便利なもので、しまってあるものを使ってやることによって勝手に整理されて行くものなの。整理しようと努力しなくても、しまってある記憶を使ってやることによって脳みそが勝手に整理整頓してすぐに出せるようにしてくれるの。生まれ持った能力ももちろんあるだろうけど、覚えたことを積極的に使おうと努力している人ほどすぐに取り出せるんだよ。だから勉強ができるんだと思うよ。

「忘れてもいいから覚える努力をするんだよ。」

覚えられなくても、何もやらないよりもずっといい。
覚える努力をして、使う努力をすることによって、
いつかきっと、頭の中で整理されて使えるようになる日がくるから。

10年間、授業を聞くことすら放棄したら、みんなに追いつこうと思ったら大変なの。でも、覚えられなくても10年ちゃんと聞こうと努力していたら、追いつくのもそんなに大変じゃない。


「家でガリ勉なんてしなくてもいいから、学校の勉強は聞く努力をしなさい。」

漢字もね、全然かけないんだよね。
でもさ、東大生だって、ちょっと書くのをサボったらすぐに書けなくなるんだよ。
だから書けなくても劣等感を感じないでいいのだ。


今日はパソコンを使って漢字の宿題をやりました。

パソコンで変換するとたくさん候補が出てくるでしょ。
その中のどれが当てはまるのかを考えるだけでも勉強になると思うの。
正答を見て写すだけよりも、ちゃんと意味を考えて選ぶわけだし、パソコンを使う練習にもなるし。

対義語や類義語に関しても、どんなキーワードをいれて検索すればいいかも分かるし、勉強になる。

あとね、読む力はつけたほうがいい。

目で読むのは多少読めない字があっても、読み流せるんだよね。
でも、声に出して読むとそれはできないよね。

仕事をする時にね、例えば何かのマニュアルを読み上げてお客さんに説明するとする。
つっかえつっかえだったり、漢字が著しく読めなかったりすると、それだけで「この人に頼んで大丈夫かしら・・・」ってなるよね。

だから、読むことに関しては頑張ったほうがいいと思う。
学校の国語の授業の意味がわからなくても落ち込むことはない。
国語の授業では、音読しているのを聞いて、わからない漢字に読み仮名をつけて、ちゃんと読めるようにだけはしておきなさい。それだけで全く違ってくるからとアドバイスしました。

ということで、
彼に関しては、

1.「覚えたことを使う」訓練を重点的にすること。

2.文章を声に出して読む訓練をすること。

3.パソコンをうまく使えるようにすること

の3つを目標に頑張ってみることにしました。

とにかく、「見て書く」のではなく、「覚えて書く」訓練をすること。
文章をスムーズに読めるようにすること。(漢字の読みの訓練にもなる)

パソコンを使えるようになるとね、作文も楽になるのです。
感想文にしてもなんにしても。
思ったことをメモ書きのようにつらつら書いて、文章に直していけばいい。
ワードの「ページレイアウト」で「原稿用紙設定」にすれば、今原稿用紙の何枚分文章を書いているかも分かるし、出来上がった文章を原稿用紙設定で印刷してしまえば、あとは書き写すだけでいい。

今はまだ文章をスラスラ打てるほど早く操作できるわけじゃないから、
彼が言葉に出したことを大人が代わりに打ってやればいいと思うのよ。
で、一緒に文章に仕上げてやればいい。

勉強が苦手な子のほとんどが、「書く事が面倒」な子なの。
だから、書く事をなるべく最小限にしてやればいいのです。

「そんなのダメっしょ!書く事が勉強なんだから!」

ってのは確かに正しいとは思うのよ。
でもね、それを押し通して勉強嫌いになって、全くやらないよりもさ、
ラクしててもやったほうが何倍もいいと思うのよ。


家庭教師としては、ちょっと正統派からズレすぎていて、職業にはできそうにもないのだけど、自分が考えている勉強法をいろいろ試せて、ママとしてもちょっと面白いのです。

彼のお母さんから先日、

「社会の先生からね、彼がこの間授業中に初めて教科書を開きましたって言われたの。」

って話を聞いたのです。
ママ的にはこれは一番うれしい進歩だと思うんだよな。

「今まで開いていなかったのか!」

ではなくてね、「授業をちゃんと聞いてみよう」って思ったってことが大きな進歩だよね。

で、実力テストの社会の点数が中間テストの倍だったって喜んでいたんだって。
やっぱさ、できてうれしかったっていう笑顔を見たら嬉しいよね。

ま、数学とかに比べて、社会や理科はやればやるだけ点数につながる教科だからね。
実感が湧きやすかったってのはあるだろうけどね。

長々と書きましたけどね。

「勉強ができなくっても全然平気」なんて子、多分いないと思うんだよね。
平気じゃないけど、自分じゃどうにもできないし、努力も嫌いだしってので、投げ出すんだよ。

少々ラクしてもいいじゃんか。
何もやらないよりはラクしても、やったほうがいい。

その子が一番ラクに勉強できるようにちょこっと工夫できたらいいよね。

うまくやる気を引き出してあげれたらいいなと思うけれど、
笑顔が見れたらそれでいいな。

頑張れ~!
投げ出すなよ~!