マスメディア等により、「お受験」が批判的に扱われることがあります。
(A)メリット、デメリットを大局的に判断できない子供に対して受験を強制すること
(B)機械的なパターン学習をさせること
(C)お受験版「よい子」に育てること
批判されている論点を上記のように整理し、これに沿って考えていきます。
と前回 書きました。今回は(B)について考えてみます。
ペーパー重視の小学校を受験する場合は、公式と言ってよいような定型的な解法パターンを習熟させ、問題を素早く処理する能力を身につけさせること。それが有効です。と「お受験に必要な能力とは? 」にも書きました。
そういうパターン学習ばっかりやってるんじゃないの?意味があるの?
という意見が批判の根底にあるように推察します。確かにパターン学習に時間を割く方が有効です。そして、それは、「考えない頭をつくる」学習方法に転じるリスクが高いものです。けれども、ベースとなる概念を十分身につけさせているかもしれません。
また、ちょっと気の早い話ですが、定型パターンを高速処理する能力が、将来的にも役にたつことは、「お受験に必要な能力とは?(2) 」で例示しました。
主に、マニュアルに沿って対処することになる仕事。主に、過去の事例、凡例、フォーマットに沿って対処することになる仕事。
というようなものです。何も深く考える能力だけが、必要とされる唯一絶対な能力ではないのです。それぞれの能力を活かした仕事がある。そういうことです。
話を転じます。
小学校受験の問題は、知能テストの影響を受けたためか、知能を測るのに有用なものが多いです。そのため、機械的パターン習熟とは正反対に活用することも可能です。素早く正解させるために使うのではなく、背景にある概念を理解していることを確認する道具として使うことができるのです。
このような使い方は、「積み木遊びと効果測定(2) 」で紹介した阿部菜穂子さんが既にされています(少なくとも私はそのように理解しました)。阿部さんは、娘さんに「お受験はさせずに」、中学受験に向けて5歳から家庭教育を充実させていった方です。
私はcritical thinking が染みついてしまっているためか、「この本に書いていることはすべて正しい」というような手放しの賞賛(思考停止したうえでの賞賛)はできませんが、阿部さんの著書は一読の価値があるものと考えています。その著書から、阿部さんの言葉を引用して終わります。
>10歳の彼は、10年間かかってできたのですから、ある日を境に突然別の彼になれるわけがないのです。これは、受験勉強を何年生から始めるか、というようなことではなく、受験勉強以前を大切にしてきたかどうかということです。
ある日、何らかの強い動機付けをされて猛勉強をはじめる。私自身も経験があります。でも、飛び立つには羽が必要なんです。飛びたい!と思ったけれど羽がない。子供にそんな思いはさせたくないですね。
続きます。
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