今回の震災に際しても、多数のデマが流布されています。伝達経路は、昔ながらの口コミ、そしてmailにtwitter。


 怪文書やパクリ(詐欺)に類型があるように、デマにも定型的なformatがあり、「人を騙すための戦略」があります。(非常時ではなく)普段から、そういったものを調べておいた方がよいと、わたくしは考えています。参考までに、過去記事を貼っておきますね。


【親から子へ】だまされるDNAの継承(7)お金を捨てる勇気


 わたくしにもデマメールが届きましたが、そういうデマの流布、拡散に一役買ってしまった人たちが一定数存在します。


 危険を多くの人に伝えようとした善意ある行動。やさしさから出た行為。


 という一面的な見方で終わらせてよいのか?


 答えは否。

少なくとも当blogにおいては、「情緒的な話」で終わらせてはいけないという態度をとります。

 「デマとは考えなかった」「判断できなかった」で済ませてはいけない。そういう態度を「善意だから」という視点のみで洗い流してはいけない。

 ただし、的確な判断がまったくできないような状況というものが実際にあり、そのような状況で、人間に超人的な判断力を期待してはいけない、という前提があることを書いておきます。


 何を信用、信頼するかは、普段からの知見集積結果がものを言うわけですが、それは個々人で違います。


と、前回 書きました。


 普段、「疑ってはいけません(キリッ:AAなし) 」と言っていた人が、危機に際して、「疑念を持って情報を精査しなさい。それを基に自分で判断しなさい」というようなことを言い出したら、その人の言うことを鵜呑みにして付き従っていた人たちは困惑するしかないですよね。


 何事も日常から。

同じ意見、同じ考え方。「見え易い部分」は同じかもしれません。しかしながら、「見え難い部分」である「そこに至る過程」も重要なのです。どれだけ考えてきたか、が。子供を教育する際には、見え易い部分ばかりに気を取られないようにしましょう。普段からね。


 騙されてでも安心したい。誰か教えて導いて。


という心の在り方の一例を、当blogでは何度も紹介してきました。自分で考えることができない、判断できない。それではとても不安なので、誰かの言葉を信じて、ただただ従っていたい。


 一方で、思い込みや受け売りの知識を持っているだけで、「なぜか自信満々」な人というのも存在します。そして「なぜか自信満々な人」に吸い寄せられた「騙されてでも安心したい人」が親衛隊となり、多数を形成していく。すると、その「多数」に信用、信頼を見出す人たちが吸い寄せられて・・・。当たり前のことですが、多数、多勢であることは真理を証明することにはならないのですが。


 そういった集団に身を置き、日常を過ごす。


それよりも、自分で考えて、多くの人と議論しませんか?


 議論には勝敗とか、面子とか、社会的地位とかは関係なく、議題を解明することに意味がある。


何度も書いてきましたが、それがわたくしの考え方です。


 え?


考えるなどない。思考などないのだ。


ですって?


にほんブログ村、幼児教育カテゴリー・ランキングの「考えるなどない氏」の話ですね。


「考えるなどない」氏の態度にショック! にも書いた通り、具体的に実行してみせる、あるいは口述してみせることができることを頭の中で考える、思い浮かべることはできます。「実体のない感情、思い」の話とは異なります。

 おっと、ここまで。読者の皆様のご要望通り、この話は折を見て再開しますので待っていてくださいね。

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 しばらくお休みするつもりでしたが、見てくださっている方が一定数いるため、情報発信することにいたしました。巷で進行している「自粛」vs「経済をまわせ」論争について書く方が、当blogらしいかもしれませんが、それは後日に。


 読者の皆さんは、必要な情報を適宜入手できていますか?次のアクションに必要な情報を。

 我が家では、新聞はとっていません。また、何度も書いている通り、テレビは事実上「DVD再生用ディスプレイ」となっています。


 政治、経済、科学、娯楽といった分野について、有意な情報を得ることができない

 専門的な知見がないうえに、稚拙な発想で「編集権 」を振り回しているから


というのがその理由です。


 しかしながら、今回の震災に際して、ネットの情報を得ることができない、あるいは得にくい状況における「電波メディア」の有意性(優位性?)をあらためて痛感しました。


 というわけで、しばらくテレビを見ていたのですが、長続きしませんでした。

 「幼児へのメディアリテラシー教育(2) 」あたりにも書きましたが、見る側から意識をかえて、電波メディアの意識向上、質向上を期待したいですね。繰り返しますが、特定の状況下において、電波は優位(有意)ですから。


 さて。 

今現在、入手したい情報の一つは、安全に関するものです。


 例えば、放射線量について。計測値を公表しているサイトがいくつか存在します。特定サイトへのDosアタックになることを避けるためリンクは貼りませんので、検索してみてください。

 「放射線量」で検索しようとすれば、and検索条件が表示されるような状況です。他のキーワードは、「計測」、「カウンター」とか。


 ネットにつなぐことができる方は、テレビを介して○○の発表を聞く、などということをせずに直接確認するようにしましょう。


 例えば、原発事故に関する専門家の見方。

その一つとして「福島原発の放射能を理解する 」にリンクを貼っておきます。リンクにある英語のサイトには講義動画が置いてありますが、こういう時こそ「これまでに磨きに磨いてきた語学力」を活かして、より多くの人と、正確な情報共有を致しましょう。


 何を信用、信頼するかは、普段からの知見集積結果がものを言うわけですが、それは個々人で違います。やはり、「考える子供」に育てたいですね。

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 こんにちは。

にほんブログ村の幼児教育カテゴリーに、数年前から出入りしている「詭弁八女菜代」と申します。当然、「考えるなどない」発言の人もよく知っています。幼児教育カテゴリーに、「考える」「思考する」「イメージする」といった内容の書き込みがあると、「考えるなどない」というようなことをすぐに書きこんでいたあの人ですよね。

 そんな人が。「思考などないのだ」と言っていた人が。過去の発言をそのままに、「自分で工夫して解き方を見つけ出すこと(考えることですよね)」を奨励したり、「思い浮かんだことを具現化している」などと書いていると知ってショックを受けました。彼はいったいどういうつもりなのでしょうか?

 という質問が届いたという「架空の設定」で、今回は話をすすめます。全てフィクションですが、考えることができる人は、思いを巡らせてみてください。


 「詭弁八女菜代」さん、コメントありがとうございます。当blogは、我が家のファンタジスタを日常を思考するような子供に育てることをメインテーマにしてるので、思考に関する内容の記事をよく書きます。そのためか、「ファンタジックな文章、あるいは感動的な表現でいくら語ろうとも、考えるなどないのです」などと標的にされて書かれることもありました。

 詳細は過去ログで見ることができますね。blogでの、オープンな発言ですから。


 え?

消されたり、修正されたりするのでは?

そんなことをしたら魚拓 (リンクが貼ってあります)と比較されて、「隠したいこと」が逆にばれますよ。


 しかしながら。

そういう主張は別にいいんですよ。どのような主義心情を持とうとも、それは自由ですから。当方としては、その反対に「こういうものが考えるですよ」と書き続けるだけです。


 そして。

そういう過去の主張をそのままに、「工夫するのが・・・」だの「思い浮かんだことを・・・」だの平気で書いていることを知れば(わたくしが普段読んでいなくても、わざわざ教えてくれる人がいたりします)、驚きをもって、そのことについて書くわけです。自由にね。ただそれだけのこと。


 さて。

算数の問題を暗算で答える。詰め将棋の問題を、実際に駒を動かさずに解答する。今日のお昼に何を食べるか決める。


 そのために、脳内で考える。

「考える」という言葉が当てはまる概念は実に広いですねぇ。そして、考えた内容、プロセスは、それを頭の中だけで行ったとしても、口頭で、筆記で、行動で、後から具体的に説明(表現)してみせることができます。


 そう。

具体的に表現できることを頭の中で行う、イメージする。


 たとえば。


来年(平成24年)の建国記念日は?と問われたら。


 うるう年を除けば、1年365日。曜日のサイクルは1週間。

365を7で割った余りは1(あるいは、割りきれるには6足りない)。ということは、1年で曜日は1日後ろにずれる。

 なるほど。来年の建国記念日(2月11日)は土曜日か。


と言語化して表記できますが、これは脳内で考えた事をアウトプットしただけです(数の概念を十分育んでいれば、幼児でもできることです)。


 え?

「具体的な行為そのものを操作する、制御すると言っているだけだ!」ですって?


 いえいえ、そんな話は関係ないですよね。

いま話題にしているのは、「考えるなどない」という発言についてですから。「考える」「思考する」を「取り扱わなくてもよい」、などという話ではなく、「そのもの自体がない」という発言について、話をしているわけです。


 その一方で。

考える力。考える子供になる教育法。などという看板を見つけると、「何を持って考えると言っているのか」、「どのような教育法なのか」、わたくしは知りたくなります。そして、中には、「え?それが考える?」と思うものも多々あります。しかしながら、だからといって「考えるなどない」などとはいいませんけどね。


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 話はかわって。 

「詭弁八女菜代」さんは「ショック」を受けたんですよね。これは丁度いい。「ショック」という「感情」について考えてみます。「考えた内容」は、以下に書いていきますね。


 ある事象をきっかけに「ショック」を受けたと主張する。でも、「ショック」という「感情」、「心の在り方」には「実像」がありません。「考える」について述べた、あらかじめ存在する具体物を脳内にイメージして操作するとか、イメージ可能な具体的行動そのものを頭に思い描くとか、問題の答えを出すとかいう話とは違うわけです。そのへんのことは、初歩的な問題として、区分けしておきたいですね。


 最後に、質問について。

彼はいったいどういうつもりなのか?

 

 わたくしに聞くよりも直接彼に質問する。あるいは、彼を応援している人たちがいるようですから、そのblogをたずねて聞いてみる。まずはそれがよろしいのではないですか?


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