マスメディア等により、「お受験」が批判的に扱われることがあります。

(A)メリット、デメリットを大局的に判断できない子供に対して受験を強制すること

(B)機械的なパターン学習をさせること

(C)お受験版「よい子」に育てること


 批判されている論点を上記のように整理し、これに沿って考えていきます。


 先ずは(A)について。

>幼少受験は一つの選択肢であって、縁がなければ中学、高校、大学とチャンスはまだまだあるわけです。


 「お受験に必要な能力とは?(3) 」でも引用した、大野啓子さんの言葉です。この1つの選択肢である小学校受験の段階で、大学まで決めてしまうような選択も可能なわけです。子供が判断できない時点での選択にもかかわらずに。

 公立小学校を選択することも「親の選択」なわけですから、「小学校以降も進路が決まってしまう」ような選択に話しを絞りましょう。「いつでも何でも子供に選ばせた方がよい」などとは言いませんが、これに違和感を抱く人が多いのではないでしょうか。


 話を転じます。

私立小学校受験の背景にあるもの。その1つに「公立小学校に対する不審」があります。ある時はメディア、あるときは口コミで伝えられる実像と虚像が織り交ぜられて、安心して通える(はずの)私学を希求する空気が醸成されます。伝えられていることが「ある程度事実」ならば、どうしてそれを国は放っておくの?メディアだって知ってるじゃないの!私立に行かせないとたいへんなことになるのよ!


 国はなんとかしてください。

これについては私も同意する部分があります。もっとも、国会議員は国民の総意に基づいて選出されているので(主権在民)、他でもない国民の責任なのですが。多数意見には勝てません。


 メディアだって状況は知ってるじゃないの!

これについては。各家庭で確固たる信念を持って小学校受験をさせているはずです。メディアが何を言おうと、いや、他人が何を言おうと、その論理に堂々と反駁を加えて我が道を行けばよいではないですか。大学まで進路を決めてしまう場合についても同じことです。

 反駁できない場合は?そういう方には、批判されることは考え直すよい機会ですね。

 

 反「お受験」の「空気」が醸成されるのが気になる。何も悪いことをしていないのに!

 なるほど。そういう考えもありますね。でも、お受験版「よい子」は、「空気」醸成に積極的に加担する、協調性のある子供に育つのではないですか?そういう社会を維持することに加担しているのではないですか?そうでなければよいのですが。

続きます。


 日本ブログ村のランキングに参加しています。よろしければ下のバナーのクリックをお願いいたします。いつもクリックしてくださっている方には、心より感謝いたします。

にほんブログ村 教育ブログ 幼児教育へ
にほんブログ村