よい子。それに「お受験版」とつけたのは、定義によって中身がかわるからです。今回は、これについて考えてみます。 

 その概念をできるだけ共有するために、このところ頻繁に引用させていただいている、大野啓子さん と、宮本哲也さん の文章を使わせていただきます。


 まずは大野さん(「家庭学習だけで合格する!」より)。

>また、今の幼少受験では、「行動観察」が重視されています。そうなると、いわゆる「よい子」、「友達とと仲良くできる子」「わがままを言わない子」「人の話を素直に受け入れる子」が選ばれることになります。そして、「個性の強すぎる子」は、はじかれてしまうのです。


 次に宮崎さん(「超強育論」より)。

>「よい子」という言葉からどういう子をイメージしますか?
・目上の人に敬意を払い、言うことを聞く(決して反抗しない)。

・与えられた課題、宿題はすべてきちんとやる。

この場合のよい子とは、管理する側にとって都合のよい子を意味します。つまりよい犬と同じです。


 特筆すべきお2人の共通点は、小学校受験という枠に思考を規制されることなく、「子供たちが身につけるべき能力」を認識しておられる点です。そんなことは当たり前だと考える方もいるでしょうが、「小学校受験で必要とされる能力」だけを過大に評価してしまう、認識の狭い方も確かにいるのです。


 前置きが随分と長くなりましたが、先ずは「協調性」について書きます。前記した「よい子」の概念から抽出した特質の1つです。


 わがままを言わずに友達と仲良くする。

こう書くと、その必要性を疑うことは、人格を疑われることを意味しそうですね(笑)。では、書きなおします。

 自分の主張を押し殺し、他人の顔色をうかがいながら行動する。

どうですか?かような態度は手放しで奨励できますか?そして、この両者を明確に線引きして区分けできますか?

 他人と協調する。それが行き過ぎて、協調すること自体が目的となってしまう。後者にはそんなニュアンスが含まれていると推察します。一方で、集団全体の意思を統一すること、自分を含めた集団の構成員を「協調させる」ことを目的とする態度もあります。調整型と言われる人がこれにあたります。共通するのは、集団の意思を何よりも上位にもってきていること。


 私見では、各個に明確な目的があって、それを達成するために、必要に応じて他人と協調する。 各個の確立が必要。では、他人との協調と各個の確立とを、どのようなプロセスで育んでいくか?難しい課題ですね。

 話を転じます。行動観察の最中に、与えられた課題の中に「興味深い何か」を「見出して」しまい、ついつい集中してしまう。友達と仲良く遊ぶどころではない。過集中などという言葉もあるようですが、そんな子供は受験版「よい子」から外れてしまうのでしょうか?それとも「その能力」は高く評価されるのでしょうか?

 感情を抑制できない子。そのように扱われるだけだとしたら、好奇心が旺盛で、それを伸ばすように育てられた子はお受験には不利かもしれませんね。

続きます。


 最後に。

 考える子供を育てるには、労を惜しまずに親が考える努力をしなければなりません。何からはじめるか?先ずは、今までよりも、あと少しだけ考えてみること。今まで当たり前のように見過ごしていたことを考えてみること。それがきっかけになります。


 そのきっかけに、わざわざお金を支払って講演を聞きに行くとか、セミナーを受講するとかは必要ありません(お金だけとって、キャッチコピー通りの効果が上がらないものも多いですし)。身の周りの何かについて、あなた自身が考えはじめる。必要なのはそれだけです。


 その契機が、私のblogになれば幸いです。考える子供が、1人でも増えることが私の願いですから。

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