前回 に引き続き、幼児教育業界でよく目にする言葉である「楽々-」について書きます。

 就学後、子供が算数を「楽々」こなせるように、幼児期から九九を暗唱させる。記号(数字)操作の機械的な記憶としての足し算、引き算を習熟させる。という事例があったとしましょう。ただし、「数の概念を十分に育てないで 」というのが前提条件です。


 幼児向けの「そういった」商品は巷にあふれています。小学生向けを「先取り」すれば、更に膨大な数になります。その中の1つを、親は「楽々」と選択できます。そして、決められた枚数を毎日こなす。ドリルのなすがままに進めればよい。こなした分量は明確で、多ければ多いほど成し遂げたという実感が残ることでしょう。


 繰り返し習熟させる。それ自体は悪いことではありません。それどころか必要なことだと思います。問題なのは前記した前提。十分な数の概念がベースにないとどうなるか。

 次々と詰め込まれるものを記憶していく。そして、ひょうんなことからできた記憶のほころび。考えてもわからない。だってそれはパターンを記憶したものだから。「力ずくで計数」することさえできない。計数さえしっかりさせていないから。
 記憶にほころびができなくても、学年があがり、より抽象的な思考を要求されると・・・。


 就学後、小学校のカリキュラム通りに算数を学習していくことが、「苦労する」ほどのものかどうかは置くとして、「多少の苦労はさせた方がよい」という考えもあります。しかしながら、先取り学習により「機械的なパターン学習法」だけを身に付けてしまったら。あらためて「考える態度」を身につけさせるには、たいへんな苦労をさせることになると推察します(取り返しがつくかどうかは不明)。

 「楽々と算数ができる子」に育てようと働きかけたのに、かえって算数のできない子 になってしまうとしたら。危ないですね。

 
 「先取り」はすべてだめだ。などと短絡的なことを言うつもりはありません。概念の発育度合が秀でていて、「現行の公教育カリキュラムでは進度が遅すぎる」という子供もいるはずですから。ただし、その「進度の遅い」公教育プログラムを履修することになることと、与えられた時間は24時間でみな平等であること(何かを選択すれば、何かを捨てることになること)とを念頭において、家庭教育をなすべきです。「幼児に何をどこまで教えるか? 」です。


 継続は力なり。好きな言葉です。「何を継続するのか?」と問われれば、迷わず「考えること」と答えます。


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