今回は幼児教育業界でよく目にする言葉である「楽々-」について書いてみます。

 タイトルに掲げた「危ない!?」は、我が家が目指しているところの「考える子供」を育てるうえで当てはまる話であって、そうでない場合、たとえば「しつけられた良い子 」を育てる場合などには関係ありません。

 また、「楽々」は親にとって楽だと言う意味と、将来子供が楽になるという意味とがあります。その点にも留意して書いていきます。


 将来、子供が英語を「楽々」話せるように、幼児期から英語を学習させる。という事例があったとしましょう。「考える子供」に育てたいのなら、気をつけないと「危ない」ですね。「幼児に何をどこまで教えるか(3) 」にも書きましたが、英語どころか母国語である日本語でも、論理的に物事を考えたり、相手にきちんと説明したりすることがきちんとできなくなる場合があるからです。


 言語には、論理を持って相手に説明したり、折衝したりする時に必要となる言語体系と、反射的で感情的な発話である体系とがあることを、「幼児に英語を教えてどうするの? 」他で書きました。考える子供に育てるには、先ずは日本語で前者を可能にする必要があります。しかしながら、その土台を築く時期を、複数の言語の「反射的で感情的な発話である体系」を習得させることに費やしてしまう。


 そうは言っても、日本語が母国語であるにもかかわらず、そのような言語体系について具体的な学習方法がわからない。そうですね。公教育でも体系的なカリキュラムに沿って教えているわけではないのですから。それならば、英語(米語?)でも教えておいた方が楽。親にとっても、公教育にとっても。

 ところが、その結果として、母国語の習得時間がますます減る。そして、前述したような「反射的で感情的な発話」しかできずに大人になる(そのような発話自体が意味がないとは言っていません)。それならば、むしろ英語など教えない方がよかった状態になる。子供に楽をさせたいという発想が、考える子供の芽を摘んでしまう。危ないですね。


 親が楽をするのならば、英語を教えない方がもっと楽なのでは?ゆったりできるのでは?「考える子供」に育てるのに、マイナスに働く場合もあるのだから。

 と考えるのは、おそらくは間違い。手間の問題ではなく、気持の問題なんですよね。できることを何かやっておきたい。そうすると気持ちが楽になる。だからこそ、楽々早期教育は危ない。考える子供を育てたいなら。


 楽ではないですが、日本語をしっかりと学習させたうえで(どうすれば良いかは、労を惜しまずに親が考える)、その合間に英語でも米語でも 好きな方をかじらせる。それがよいのではないでしょうか。「英語に全くふれさせない」という方が難しいですから。

 あと、我が家でも奨励している楽があります。楽するために頭を使え。考えることに労力を惜しむな。それならばOKです。


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