その2からの続きです。
「新ブラックジャックによろしく」第9集のカバーイラストを描かないということを、明言した佐藤秀峰氏。
お金の問題というだけでなく、「何か」がここにはある気がする。
その「何か」について考える、第三弾です。
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確かに、ギャラがもらえないということは大問題だ。
佐藤氏がプロの漫画家、またはイラストレーターであるということは、仕事をこなし、その対価としてお金をもらうということが大前提であるからだ。
佐藤氏が誰か(ファンであるないにかかわらず)に無償で絵を描くということは、サービス、言い方を変えてしまえばボランティアなのだ。
出版社の商品である単行本のカバーイラストを描くということは、サービスであってはならない。彼はプロの絵描きなのだから。
佐藤氏がカバーイラストを提供することを、今まで疑問に思わずにきたわけがない。ならばなぜ描き続けてきたのか?
駆け出しのころは、そんなことも考えずに描いていたのかもしれない。僕たち漫画関連の仕事についていない一般人と、変わらない考え方でもおかしくないからだ。また、考えていたとしても、「こんなことを問題提起してしまえば、仕事がなくなってしまう」と思っていたのかもしれない。
知名度があがり、人気漫画の連載作家となってからは、きっといつも考えてたに違いないと思う。しかしそれでも、「漫画界では通例のこと。納得はしていないが仕方ない」と思っていたのかもしれない。もしくは、自分の漫画としての愛着もあったのかもしれない。
ボクは本人ではないのでこれが正解であるかはわからないが、きっといくつかはあたっているのではないかと思う。
色々なことに疑問を持ち、それでも彼は描き続けてきた。
しかし、その瞬間が訪れた。
漫画 on web 佐藤秀峰日記 にも書かれていたように、「新ブラックジャックによろしく」第9集のカバーイラストの締切日を、担当編集者が指名したにも関わらず、その日に編集者は仕事場には現れなかったのだ。
これだけを聞いてしまえば「そんなことぐらいで」と思うかもしれない。
しかし、佐藤氏はこの日まで、散々耐えてきたのだと思う。
佐藤氏の日記を見ていただければわかるが、彼は漫画を描き始めてから本当に波乱万丈、しかも常識的に考えれば納得がいかないことばかりだったのだ。
そんな状況の中で漫画を描き続けてきた佐藤氏。彼の感情の容器は、もはやいつあふれてもおかしくないほどに水が溜まっていたのだ。
そんな感情の容器の中に、この担当編集は勢いよく水を注いでしまったのだ。
佐藤氏の言葉の中に印象に残った言葉がある。
「描かないんじゃなくて、描けないんだ。」
そう。彼は自分の感情、思い、考えをごまかしながらでも、単行本を購入している読者のために描こうとしていたのだ。
でももう「描けない…」。
ボクは「新ブラックジャックによろしく」を単行本で集めている。だから、個人的にいえば第9集のカバーが白紙というのはいささかの寂しさを感じる。
しかし、それもいいかなとも思う。それが佐藤氏が自らの信念を込めて描き、想いを貫いた証かもしれないからだ。
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ここで、このブログを終わらせてもいいかなとも思ったんですが、もう少しだけ書きたいことがあるので、あと一回くらい続けます。
その4に続くので、読んでくれている方はもうしばらくお付き合いください。