プラス3ノット(時速約5.5km)
人が歩くスピードと同じくらいじゃないかな。
これが生死を分けたスピードだ。
漁師の魂と言ってもおかしくはない、船。
津波から守るためには、沖に出て津波が小さいうちに
乗り越えなければならない。それが船を守る唯一の方法だと。
あの日、津波到達時間から逆算して「間に合う」と判断した漁師達は一斉に沖に向けて全速力で船を走らせた。
その漁師さんも同じように沖に向かったそうだ。
小型船で確か24ノットが最高速度で、津波を越える為には最高速度で津波に垂直に船を走らせるそう。
前も横も後ろも仲間達の船でいっぱいだった。
そして全員であの津波に垂直に突っ込んでいったと。
その時、船首は真上にまで上がって速度計は24ノットから一気に3ノットまで下がった。
「死んだかと思った。」と。
そして振り返ったら
「誰もいなかった。」
「俺が最後だった。」と。
その漁師さんは+3ノットだったから越えられた。
0で呑み込まれるとのこと。
たった3ノットが生死を分けた。
津波が陸で人々を呑み込む前に、海ではそんなドラマがあった。
まず漁師達が犠牲になった。
先日、船に乗せてくれたSさんの船も、津波を乗り越えた船の一つ。
犠牲になった近所の人の船は途中で追い抜いたって。。
こういう話は、誰でも聞けるわけじゃない、僕はたまたま聞けただけで。
世の中の人達はメディアを通してしか知るきっかけはないだろう。
だからこの事を僕は詞にしようと思った。
結果的には「津波」という単語は使わなかったけど、
こういう経緯があったというのはこのブログに書いておこうと思う。
「荒波」にはこういう意味も入ってるというのをここを見た人にだけは知っておいてほしい。
さて、そんなこんなでどうにか原曲の完成に漕ぎ着けた。
曲中の「僕」は、数年ぶりに故郷へ帰るわけだが、
電車で帰るその車窓の景色をどうしても実際に見たいのと、
じぃちゃんの海完成披露ライブの段取りをしに、
8月上旬、僕はまた東北へ向かった。
この船も津波を乗り越えた船の一つ。