考えれば考えるほどにプロレスって深いと思う/ワラビーvsDDTを見て感じたこと | プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

プロレスバカなオレの母が認知症になったからってキミには知ったこっちゃないかな?

リングパレス育ち、北海道に住む50歳、ファン歴35年のプロレスバカです。
プロレスについてのアレコレやテレビネタ、日常の想いを綴ってます。
そして2016年からは母の認知症についても書き残すことにしました。


先日、サムライTV「インディーのお仕事」でワラビーvsDDTの対抗戦を見た。正直、(ちょっとだけど)後味の悪さを感じた。

昔からプロレスには――というかプロレスファンの間には、セメントマッチやシュートへの幻想がある。
今回のワラビーvsDDTもそういう雰囲気のあるものだった。

アントニオ猪木vsグレート・アントニオ。
スーパー・タイガーvs前田日明。
前田日明vsアンドレ・ザ・ジャイアント。
橋本真也vs小川直也。
どの試合も普段のプロレスとは明らかに質の異なる試合で、試合のあった当時から現代まで、その真相がいったいなんであったのか語られることの多いものだ。

でも、基本的にそれらはやはり「異質なもの」であって、本来であればお金を払って見に来たお客さんに見せるべきではなく、決してほめられるべきものではないはずなのだ。

こんなことを書いているがボクはなにも保守的なわけではない。むしろプロレスファンの中でも比較的オープンな見方をしている方だと思う。
トンパチな選手も好きだしハジケた試合も大好きだし人並みに野次馬根性も持ってる。
橋本vs小川の試合なども、当時は興奮して見ていたクチだ。

しかしここ数年(これはもしかすると棚橋弘至のおかげかもしれないのだが)つくづく思うのだけど、プロレスの大会は基本的にはハッピーエンドであるべきなのだ。

プロレスはお客さんがお金を払って見る、プロによる興行。
見たい試合を毎回観戦出来る客さんは少なく、むしろ年に数回しかない生観戦の機会を、貴重なお金と時間を費やして会場に足を運ぶ。
そしてプロレスの試合も生モノであって、見るたびに違う試合がお客さんの目に映る。
つまり、お客さんとプロレスとの接点は一期一会なのだ。

そう考えてみるとハッピーエンドで締めくくって、お客さんが幸せな気分でプロレス会場を後にすることこそがプロレスの基本であるという結論にたどり着いてしまうのだ。

プロレスが他の格闘技やスポーツと大きく異なるのはハッピーエンドを選択すること、それが出来ることにあるとも思うのだ。

亡くなったジャイアント馬場さんは「水戸黄門」をこよなく愛したという。
毎回、毎回、決まった時間に印籠が出てくる勧善懲悪の偉大なるワンパターン。
しかし多くの視聴者が長年に渡って支持してきたという事実にこそ、馬場さんが愛した理由があると思うのだ。

ボクはワラビーやDDTの選手を責めようと思ってこの記事を書いているわけではない。矢野啓太選手にはとても興味を惹かれるし、HARASHIMA選手のことも好感を持って見ている。
ただ、「自分の思うプロレスとは何なのか?」と考えてみると、こうした思いにたどり着く。
しがないオッサン・プロレスファンの独り言。それだけです。





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