車谷長吉 『灘の男』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 昨日東日本を巨大地震が襲った。テレビのニュース映像を見ていても、足が震え、胸が痛む。現地では余震が続いていて、被害の全貌さえわからないようだ。影響を受けなかった地域に住む自分たちにできることは限られていると思うけれど、復興に向けて、少しでもお役に立てればと思う。

 さて、本作は2011年2月発行の文春文庫。

 しばらくぶりに車谷長吉の文庫新刊を購入したのだが、解説によると、この作家は「私小説作家廃業宣言」をし、この作品集はそれ以後のものということで、ちょっと驚きである。そう言えば、ここに収録された3作品は、どれも聞き書きにより対象を浮き彫りにする評伝風な味わいであり、私小説とは言いがたい。著者があまり前面に出てくることはなく、作風の変化は歴然である。なるほど新境地を切り開いた作品と言えるかも知れず、これはこれで満足に値する作品だとは思うけれど、それにしても、生粋の私小説作家であったはずなのに「廃業宣言』とは! 何があったのだろう? 『贋世捨人 (文春文庫) 』あたりを読んでみる必要があるのかも知れない。

 収録作は表題作のほか『深川裏大工町の話』『大庄屋のお姫さま』の3編である。いずれも、著者が本人あるいは関係者に聞き取りを行い、それを文章化したという形式を取っている。

 なかでも表題作『灘の男』は、ボリュームで他の2編を圧しているだけでなく、魅力的な二人の男について幾多の詳細な聞き取りが行われており、立体的多角的にその人間像を再現することに成功しているようで、実在の人物伝であるのに、非常に痛快な読み物ともなっている。描かれるのは、浜田運輸の創業者・浜田長吉と、浜中製鎖所を立ち上げた浜中重太郎。ともに裸一貫から大企業へと育て上げ、後には国家褒賞も受けた二人であるが、毎年10月に行われる「灘の喧嘩祭り」を誇りとする播磨の男ぶりが余すところなく語られ、喧嘩好きの豪胆さ、私欲のない包容力、地域への惜しみない散財など、カバーの「粋で、いなせで、権太くれ」のコピーそのままが髣髴としててくるのだ。著者もこの地で生まれ育っており、思い入れも深いのであろう。現代では見ることのできない破天荒な男の生き様は、我々に多大な勇気を与えてくれるようである。

 『深川裏大工町の話』は、現在は役者(具体的な役者名はわからないが)をしている語り手が、終戦前後の東京を思い出すままに話すという構成である。ここでは、人物評伝よりも、時代の様相を描くことに主眼が置かれているようだ。その内容には、昭和20年に岐阜で生まれた自分にも重なる思い出が含まれていて、長らく忘れていたことが突然に蘇ることがあった。懐かしさに溢れた一編となっている。

 『大庄屋のお姫さま』は、再び播州平野に戻って、藤原北家房前を祖とするのではないかと言われるほどの旧家である松ノ下六郎右衛門家の16代目当主・松ノ下頼子に関する聞き書きである。ここでも本人の他、かつての使用人などからも聞き取りがなされ、大庄屋が農地解放以後没落していく様子が語られてゆく。歴史的な文化遺産であるお屋敷を末代まで残したいと、兄妹との確執なども経験しながら、ついには兵庫県に寄付するまでである。旧家には旧家なりの苦労が絶えないようで、しかし矜持もあり、どこか哀歓が漂ってくる。ちょっと切ないお話である。

 三編とも、かつての車谷作品とは明らかに異なるけれど、聞き取りの合間にわずかに顔を出す著者は紛れもなく我々が知る車谷長吉その人である。そして、聞き取った話を一編の作品に仕上げる構成力は、やはりプロの作家の力量を感じさせずにはおかない。車谷ファンであれば、それほど違和感もなく、彼の新境地を堪能できるであろう。

 もしかしたら、車谷長吉は大いなる進化を遂げたのかも知れない。

  2011年3月12日  読了