黒岩重吾 『背徳のメス』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


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 自分が唯一メンバーとなっているゴルフ場は岐阜市のはずれにあるが、気候的には福井県嶺南地方の影響を受けるらしく、雪が多い。特に今年の1~2月はクローズが続いて、ほとんどプレイできなかった。ようやく3月の声を聞いて、ゴルフの誘いがドッと重なり、今月は8回となる予定である。(うち2回は1日と3日にすでに消化済) うれしいことではあるのだが、これでは読書が進まず、ブログの更新もままならなくなってしまいそうで、そちらがちょっと心配だ。

 と、余計なお喋りはこのくらいにして、本題に入ろう。この作品は1972年12月発行の新潮文庫。2011年2月に改版のうえ復刊されたものである。

 黒岩重吾といえば、後半生は古代史に題材を得た歴史小説をもっぱら発表していて、自分も愛読したものである。しかし、それ以前の、社会派推理作品に関しては、関西人のアクの強さが気になって、ほとんど読まずにいた。この『背徳のメス』は直木賞受賞作ということで、著者の代表作の一つであろうけれど、ついに未読のままだったのである。復刊に気付いて、ようやく読んでみたくなったという次第だ。

 物語の主人公は、大坂の阿倍野病院の産婦人科医師・植秀人である。阿倍野病院は釜ヶ崎にあり、患者は日雇労働者や街娼、浮浪者といった医療弱者ばかりだ。勤務する医師も、理由があってこの病院に流れ着いたのであり、でき得るなら、個人開業か、もっと条件の良い病院へ移りたいと思いつつ、それを果たせないでいる。植には戦時中の臨時医専出という学歴ハンディがあり、一度は妻のコネで大病院に勤めたこともあるが、離婚後の荒れた生活のなかで阿倍野病院に辿り着いたのだ。彼は次々と看護婦と関係を持ち、決して品行方正とは言えない。

 物語は、産婦人科科長の西沢が、植の助言を聞き入れず強引に妊娠中絶手術をして、患者の光子を死なせてしまうところから始まる。光子の夫で暴力団員の安井は高額な慰謝料を請求するが、西沢は手術の失敗を認めず、交渉は決裂する。医療ミスを犯しながら傲然たる態度を続ける西沢を許せず、植は西沢に有利な証言をすることを拒否する。

 そうしたさなか、病院の創立祝賀会の夜、植が寝ていた当直室のガス栓が何者かによって開けられた。危うくガス中毒死を免れた植は、自分を殺そうとした犯人を捜し始める。西沢をまず疑うところだが、強引かつ派手な女性関係が災いして、植を恨む者も多く、予断を許さない。こうして、医療ミスによるトラブルと、植による犯人の追及とが、並行して進行してゆくことになる。

 学歴と実績による医師のプライドとコンプレックス、病院内の厳格な序列などとともに、貧しい暮らしに明け暮れる人々の様相も描きこまれ、社会派らしい問題提起もなされている。ミステリー作品であり、種明かしになるような記述は避けたいと思うが、最後に思いがけない結末が用意されているとだけは明言しておこう。

 ただ、会話文に大阪弁が飛び交うのは物語の舞台設定から止むを得ないとしても、登場人物の性向がいかにも関西風であるのは、自分の好みではなかった。若い頃、著者の作品を読もうとしなかったのは、そういう意味では、正解であったのかも知れない。黒岩重吾なら、やはり古代史作品のほうが自分には適している。

  2011年3月5日  読了