松本清張 『十万分の一の偶然』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年12月発行の文春文庫。昨年企画された松本清張生誕百年記念の「長編ミステリー傑作選」の一冊である。初出は1980年3月~81年2月の「週刊文春」連載。

 昨年は、この文春文庫の企画の他にも各社で清張作品の復刻版や新装版が相次ぎ、多数の作品に接することができた。このブログでも何度も書いたけれど、自分は清張が現役で旺盛に執筆しているころには熱心な読者とは言えなかったので、彼の膨大な著作のほんの一握りしか読んでいなかった。その意味で、昨年の出版ラッシュはとてもありがたかった。そして、読み切れずに今年に積み残した作品も多い。まだしばらくは、清張がこのブログに頻繁に登場することになりそうである。

 この『十万分の一の偶然』は、推理小説というよりは、復讐談と呼んだほうが正鵠を射ていると思う。

 発端は、A新聞が発表した「読者のニュース写真年間賞」で、保険外交員・山鹿恭介の『激突』が年間賞の最高賞を受賞したことである。『激突』は東名高速の沼津付近で夜11時ころ車6台が玉突き事故を起こし、死者6名、重傷者3名、炎上の車3台、大破の車3台と大惨事となった現場を見事に写していた。審査委員長の写真家・古屋蔵之助は、その選評で「こういう決定的瞬間の場面に撮影者が遭遇するとは、一万に一つか、十万に一つの偶然というほかはない」と述べていた。

 この見事すぎる写真に不審を抱いたのが、事故で死んだ山内明子の婚約者であった沼井正平である。正平は明子の姉のみよ子とともに事故現場を訪れ、山鹿恭介が受賞談話で述べていたことに疑問を感じた。事故は、先頭のトラックが突然急ブレーキを踏み、右へハンドルを切って、その勢いで横転し、そこへ後続の車が次々と追突したのであるが、トラックが何に驚いてそうしたのかは、ドライバーも助手も死亡していて、不明のままなのである。彼は恭介の周辺から調査を始め、保険の加入をチラつかせつつカメラの愛好も装って、恭介に近づいてゆく。と同時に、もう一度事故現場を歩き、小さな証拠らしきものを発見する。正平は仮説を立て、『激突』が偶然の産物ではなく、恭介が事故発生を仕組んで撮影した必然の場面であったという確信を深めてゆくのだ。

 最初は保険契約の期待とカメラの指導的立場で正平と接してきた恭介も、正平が山内みよ子の名を出したあたりから、彼の意図に気付き始める。それからの、二人の虚々実々の駆引きと、実際の報道写真の撮影現場に同行するという名目で湾岸道路へ出かける実質的な対決シーンが、この作品の最大の読みどころとなっている。恭介は前日に埠頭一体の下見を行い、優位な立場で正平と相対するつもりであったが、正平はさらに用意周到であり、ついに、事故に見せかけて、恭介を殺害してしまうのである。

 正平の復讐心は審査委員長を務めた古屋蔵之助へも向かう。古屋が公募する報道写真に佳作が少ないことを嘆き、オフレコとは言いながら演出写真を容認するような発言をしたことが、山鹿恭介をあのような行動に誘い、大事故を発生させ、婚約者の明子を失うことに繋がったからだ。だが、大麻を使って古屋に幻覚を起こさせて事故死を装うという後半のシーンは、正直に言うなら、少しやり過ぎの感じがしなくもなかった。

 正平の二つの殺人には赤いライトの点滅が小道具として使用され、最後にそれをパイロットが空から目撃していた証言が寄せられるところは、さすがに松本清張の巧さであろう。事故で片づけた警察がそれにより捜査を始めるからである。だがその頃、正平は自らの命を縮めようとしていたのだけれど。

 新聞に載る報道写真と言えば、事故や火災が多い。そういう現場で、救助に向かわずにカメラを操作するという行為には、釈然としないものがあり、その賛否もこの作品で紹介されている。それよりも、普段何気なく見ている新聞の写真から、これだけの物語を作ってしまうということが、自分には驚きであった。

  2010年1月14日  読了