橋本治 『双調 平家物語 9 平治の巻Ⅰ(承前)』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年12月発行の中公文庫。全16巻という長大な物語の9巻目である。

 そもそも、著者が遠く蘇我氏の時代からこの物語を説き起こしたのは、藤原鎌足を祖とし、その子・不比等が天皇家に深く絆を結んだ藤原氏の変遷を追うためであった。藤氏は天皇家の外戚となり、摂関家として王朝屈指の家系となって、しかし天皇家を滅ぼすことなく、朝廷に君臨した。道長の時代にその栄華が頂点を極めたことは、すでに見てきたとおりである。

 しかし、白河院、鳥羽院と続く時代、政治の実態が朝廷から院の御所に移り、摂関家の影響力は相対的に低下した。さらに、親子兄弟の対立が保元の乱を呼び起こし、摂関家の権威は有名無実も同様となってしまった。保元の乱の事後処理は、後白河帝の信任を得た信西が采配を振るい、摂関家といえども、宣旨に従わざるを得なくなってしまったからである。

 この巻は、保元の乱の終結から平治の乱の勃発までの3年余を描いている。まさに信西の時代である。

 信西は保元の乱の事後処理を厳しく行った。新院(崇徳院)は讃岐へ配流となり、新院方の武者たちは斬首である。平清盛は叔父の首を斬り、源義朝は父・為義をはじめ弟たちも斬らねばならなかった。ともに出家し恭順の姿勢を示していたにもかかわらず。摂関家も関白忠通は謹慎、父の忠実は幽閉である。

 信西はまた法の人であり、寺社の荘園を整理し、朝廷の整備も進めた。後白河帝は政治には無関心であり、信西の施策は本来の政事に則したものであって、世の中は平静を保って推移してゆくと思われたのである。

 だが、後白河帝は後に清盛や頼朝と駆引きを行い「大天狗」とも呼ばれるようになるお方である。寵愛する藤原信頼を異例に昇進させ、ついには二条天皇への譲位までもを信頼の昇進の材料とされる。信西の前に、藤原信頼が政敵として次第にその姿を大きくしてくるのだ。

 信西は『安禄山絵巻』を調じ、後白河院に献上する。安禄山は玄宗皇帝と楊貴妃を倒した逆臣であり、信西は信頼を安禄山になぞらえたのだ。この物語の『序の章』で安禄山の事績が長々と綴られていたのは、この信西が調じた絵巻に対する布石であったのだろうか? しかし、信西の意図は後白河院には通じず、信頼には見透かされるという結果に終った。ここに二人の対立は顕在化することとなるのである。

 平清盛は武士の家の棟梁ではあるが、本人は都育ちであって、貴族の一端でもある。清盛は財力にものを言わせ、信西の子にも信頼の子にも娘を贈り、婿となった。実力者と寵臣に近づき、将来に備えようとする意図である。

 一方の源義朝は、東国育ちの荒武者であって、貴族ではあり得ない。また、朝命とはいえ実父や弟を殺害したことで、世評を落としている。彼も信西に近づくが、相手にされないのである。義朝はもともと摂関家の走狗として存在していたのだが、摂関家の凋落に伴い、やむなく信頼に近づいてゆくのだ。

 信頼は信西を討つことに決するが、この計画に清盛を使うのは不安である。彼は清盛が熊野詣に出かけた隙に決起し、義朝の兵を率いて三条殿に夜討を敢行する。平治の乱の勃発である。

 藤の一族は、摂関家が凋落しても、閑院流、中関白家流と、次を担おうとする。信頼は中関白家の裔である。そして、凋落したといえ、摂関家は一族の中で超越しているのだ。だが、平治の乱が終れば、いよいよ平家の時代となるはずである。

 この長い物語からますます目が離せなくなってきた。

  2010年1月16日  読了