堀江敏幸 『一階でも二階でもない夜ー回送電車Ⅱ』 (中公文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年12月発行の中公文庫。

 堀江敏幸という作家に注目して、文庫新刊に気付けばすぐに購入するようにしているけれど、作家、評論家、大学教授、翻訳家と活動範囲が広く、したがって小説作品にはなかなか巡り合えないのは、少なからず残念である。この作品も、エッセイ、評論、雑記、雑文など、各雑誌・新聞に発表した文章を寄せ集めて組んだという体裁であって、必ずしも自分が渇望している堀江作品ではあり得なかった。

 4章に分かれていて、「Ⅰ」がエッセイ、「Ⅱ」が評論、「Ⅲ」「Ⅳ」が雑記という分類のようである。自分としては、比較的ボリュームのある「Ⅰ」の部分が面白く読めた。散歩の途中で出合ったものや、ふとした思いつきから説き起こして、最後にちょっとした転調が加えられている。例えば、標題となっている『一階でも二階でもない夜』というわかりづらいタイトルの作品は、坂道に面した中華料理店を捜す話から始まり、通りからは一階に見えても実は二階部分であって、ようやく探し当てたお店で会食をしていると、思いがけない電話があって、特別の夜になった、という程度の内容であり、わずか3ページの短さであるのに、好ましく同感できてしまうのだ。文章のありようも、この「Ⅰ」の各編では、著者が小説作品で示す簡素かつ抒情的な美しさを保っているような気がする。

 「Ⅱ」の評論は、フランスの画家や作家・詩人に言及するところが多く、こうなると自分にはお手上げである。書かれていることがチンプンカンプンで、意味もわからず活字を追うだけだ。ただ、そうした中に、突然獅子文六を語ってその復刊を待ち望んだり、須賀敦子を追悼する文章が挿入されたりもするので、その意外性にホッとする。また、北園克衛頌の装丁を論じた『九ポイントは遠すぎる』では、著者が書物の外観に示す並々ならぬこだわりが縷々述べられており、しかもそれは他の文章でも折に触れて繰り返されることでもあるので、非常に興味深かった。

 「Ⅲ」「Ⅳ」については、主として新聞各社の求めに応じて書いたと思われる短文が多くを占めている。以前『もののはずみ (角川文庫) 』を読んで、著者が「もの」に拘泥する人であることは承知しているのだが、ここでも古書はもちろんのこと、万年筆、鉛筆からクリップまで、その片鱗が窺われる記述が随所に表れる。自分は多分「もの」にはこだわらないタイプなので、著者が変質的に思えてしまうほどだ。

 全体を通して感じることは、言葉を大切に扱おうとしている点である。もちろん、言葉の積み重なりである文章も。それは、作家としての心構え以前に、外国の言葉を学び、そこからその国の文化の真髄に触れてゆこうとしている者の、極めて学究的な態度が出発点なのではないか? であるからこそ、母国語で書く小説作品にも、言葉との真摯な対話が繰り返されて、美しい日本語が我々の琴線に触れる文章となるのではないか? と、大きく風呂敷を広げたようなことを述べてしまったが、そう感じさせる何かがここにはあるような気がする。

 当初は同郷の作家として注目していたところもあったのだが、最近は純粋に彼の著作が好きである。

  2010年1月10日  読了