宮部みゆき 『孤宿の人(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年12月発行の新潮文庫の下巻。

 上巻の最後で、引手頭の嘉介親分の二人の息子が涸滝の「加賀殿」幽閉屋敷へ度胸試しに出かけ、警護の役人に斬り殺されるという事件が起こっていた。嘉介夫婦も罪を問われ、結局は亡き者とされてしまうのだが、表面的にはコロリによる病死の扱いであった。この事件の後、宇佐は引手助手の職を追われ、中円寺のお救い小屋で英心和尚の手伝いをすることになる。

 実は、忍び込んだ子供を切り捨てるについても、涸滝の御牢番頭を巡る藩内の対立があったらしい。そもそも、涸滝の屋敷の持主である浅木家は丸海の地の古くからの豪族であり、藩主の畠山家の下風に立ちたくはないという気風があり、「加賀殿」の不慮の死を導いて畠山公を失脚させ、あわよくばその地位を奪おうと動いているらしく、一方では当然のことながら藩主を守ろうとするグループもあって、涸滝の役人にはそれらが混在しているのである。さらに、浅木家では跡目相続の争いも勃発しているようで、15年前と同様に、毒を使用して流行病に見せかけて相手を排斥しようという企てもあるようだ。”妖怪”よ呼ばれ人外の者である「加賀殿」が丸海藩に預かりとなり、どのような不思議な現象が起きても容認されそうな風潮のなかで、不穏な計画が動き始めてもいるのである。

 だが、この作品では、お家騒動や浅木家の相続問題が正面から描かれることはない。中円寺における宇佐の多忙な日常や、涸滝の屋敷に奉公にあがったほうの様子、さらには同心の渡部一馬や藩医・井上家の嫡男である啓一郎に沿って進行してゆく。なかでも、丸海の全ての人々から怖れられる「加賀殿」と接してゆくほうの姿が哀れにも美しい。

 「加賀殿」暗殺の刺客が涸滝屋敷を襲った日、ほうは賊の姿を見かけ、縁下に逃げ込んで、偶然にも「加賀殿」の部屋の下へと紛れ込み、そこで救出されるのである。以後、「加賀殿」とほうとの交流が始まる。短い会話から、文字の手習い、算盤の稽古など、毎日決まった時間にほうは「加賀殿」の部屋を訪れるようになる。あれほど皆が怖れる人であり、ほうもそれを信じていたのだが、毎日接する「加賀殿」は厳しいなかにも優しさがあって、ほうは次第に信頼を深めてゆくのだ。それはまた「加賀殿」の心を開くことにもつながるようである。ほうの名は、阿呆の「呆」から取られていたのだが、「加賀殿」はやがて方角の「方」の文字を充て、最後には宝物の「宝」の字を与えるまでになる。

 物語のクライマックスは雷雲が運んでくる。後に「八朔の大雷害」と呼ばれる大きな落雷で、丸海の守り神であった日高神社が燃え落ちてしまったのである。本来は住民を雷から守ってくれるはずの日高神社なのだ。これも「加賀殿」が丸海の地に放つ怨霊であるのだろうか? 特に海で暮らす漁師たちは雷の怖さを熟知しており、神社の再興を要望するのだが、藩の財政は厳しく、町場に暮らす者たちとは温度差があって、やがて暴動へと発展してしまう。火事が発生し、丸海の堀外の町は半分が焼け、多数の死傷者が出る大惨事となってしまう。このあたり、怒涛の勢いで物語が進行し、息つく暇もないほどである。宇佐や啓一郎が大車輪の活動を強いられるのは言うまでもない。

 そして、「加賀殿」が”妖怪”から”丸海の守護神”へと再生を果たすのも、落雷が涸滝屋敷を直撃するからである。と、ここまで書いては、この作品がミステリーであるならば、書き過ぎなのかも知れない。自分としては、ミステリーだという認識はないのだけれど。

 渡部一馬は自分の信念を貫いて死に、宇佐は落雷を受けて倒れてきた木の下敷きになって死ぬ。「加賀殿」の指示により、辛くも涸滝を脱出したほうだけが生き延びて、井上家へと辿りつくのである。その最終章で、自分は不覚にも涙を流してしまった。最後にこの感動を呼ぶために、この長い物語がここまで綴られてきたのかと、初めて得心がいったのである。

 宮部みゆきは余計なお喋りで作品が長大化しがちな気もするけれど、やはり上手な物語作家であった。

  2010年1月9日  読了