山本兼一 『いっしん虎徹』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年10月発行の文春文庫。

 子供の頃、『鞍馬天狗』の映画を観て育った世代としては、近藤勇の「今宵の虎徹が……」という台詞が耳に残っていて、虎徹が鍛えた刀が業物であることを否応なく承知している。だが、彼がどのような人物で、どんな生涯を送ったかについては、何も知らなかった。この作品は、その虎徹の半生を辿ったものである。

 長曾祢興里(後の虎徹)は、越前の甲冑鍛冶の家に生まれた。優れた甲冑を製造するものの、戦乱は遠く去り、太平の世が長くなると、せっかくの武具も無用となって、生活は困窮してくる。キツい仕事を手伝わせた所為で妻・ゆきが病気がちとなり、興里は江戸へ出て刀鍛冶として身を立てようと決意する。名刀を鍛えれば人を惹きつけることができるであろうし、江戸には名医が多いと思われるからである。と、一念発起するところが、この物語の発端となっている。徳川将軍家で言えば、家光から家綱に至る時代のことだ。

 迂遠なようであるが、興里はまず出雲へ出かけ、製鉄の実際を学ぶことから始める。鍛冶であるから、これまでも鋼を仕入れ、加工してきたわけだが、その前段階の探究にでかけたのだ。そして、ゆきとともに江戸へ出た興里は、刀鍛冶・和泉守兼重の鍛冶場に住み込み、5年間、鍛刀の技法を学んだ後、上野池之旗に自分の鍛冶場を構える。

 興里の理想は高い。自分が鍛えた兜を断ち切れる太刀を目指しているのだ。失敗を重ねつつも、彼は次第に技量を備えてゆき、試刀家の山野加右衛門や、刀剣に詳しい僧・圭海に認められるようになってゆく。「虎徹」の名も圭海が付けてくれたものである。最後、将軍を招いての試刀において、虎徹の太刀は凄まじい切れ味を発揮し、葵の紋を刻むことを許されるまで、ひたすら鉄と熱との格闘が描かれてゆく。虎徹には、良い材料を揃え、そこから最適な鋼を取り出し、それを鍛えに鍛えて名刀を生むという、そのことに集中することしかないのだ。

 病弱なゆきが虎徹を優しく包む姿がときおり挿入されるし、越前の刀鍛冶・貞国が殺され、秘蔵の名刀・行光が盗まれたことの嫌疑が虎徹にかかって、ミステリー的な要素も添えられて、さらには圭海が虎徹の刀を使って政争を企図するシーンも描かれるけれど、それら全てが添え物であって、この物語の大半は、名刀ができるまでの技術・技能の叙述であると言っても過言ではないはずだ。著者はこれまでも職能集団を描いてきており、そういう意味では、この作品もその系譜に位置しているのである。これはまた、著者が探り当てた歴史小説の新鉱脈とも言えるわけで、それだけに、取材も念入りに行われたようで、作刀の過程を描く著者の筆致には迫力があり、読み応えも十分である。

 ただ、「信長テクノクラート」3部作に比較するならば、信長という魅力的な個性と技能集団とのせめぎ合いという部分がどうしても欠落してしまうので、物語としての膨らみは乏しいように思う。虎徹の場合、結局は自分の理想との闘いに終始せざるを得ないのだ。単なる名工物語ではなく、重厚な歴史小説となるためには、そこが課題ではないだろうか?

  2009年10月31日  読了