宇江佐真理 『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 2009年8月発行の文春文庫。「髪結い伊三次」のシリーズも、これが第7弾ということである。

 あくまでも捕物余話であって、捕物帳ではないと承知しながらも、最近は事件発生から下手人捜査へ至る推理部分がすっかり放棄され、不破家と伊三次家のホームドラマに堕してしまったのが腑に落ちなくて、このシリーズを読むのは止そうと思っていたのに、またも購入してしまった。そして、またも失望を禁じ得なかった。

 まず、第一話『薄氷』には、唖然とさせられる。伊三次がおよしという娘から現代の援助交際に相当する申し出を受け、伊三次が晩飯を食べさせて事情を聞くのはわかるとしても、そのおよしが、親に強要されてかどわかしの手先となり、こともあろうに、不破友之進の娘の茜を誘拐してしまうというのは、いかにも強引な筋立てではないだろうか? しかも、伊三次から事情を聞いた友之進は、行徳河岸に人買い船が待っているとして、一直線にそこへ向かい、茜はドンピシャで救出されるのである。こんな馬鹿げた捕物があっていいのだろうか? もし、同心の娘が誘拐されたのでなかったなら、奉行所はそこへの手入れを怠り、人買い船は悠々とかどわかした子供たちを乗せて出航したに違いなく、であるとしたら、江戸市中の平安を守るはずの不破たちは、役務怠慢の誹りを受けても仕方がないのである。

 第二話の『惜春鳥』以下は、伊三次や不破の活躍は後退して、不破の息子の龍之進が属する八丁堀純情派と本所無頼派との対決の構図が鮮明となってくるが、何ともぬるま湯に浸っているような展開が続く。呉服商の尾張屋が押込みにあい、主夫婦以下八人が惨殺され、二百五十両が奪われるという事件が起きて、龍之進たちは本所無頼派の仕業と睨むのだが、これが一向に進展しないのである。もちろん、月番が南町奉行所であり、龍之進たちには直接の捜査権がないことはわかるし、旗本や御家人の子弟が絡んだ事件の捜索は同心の手に余るというのも理解できないではないが、火付盗賊改めの長谷川平蔵ならば迅速に犯人検挙するに違いない大事件なのに、ここで描かれるのは、若者の遊戯にも似た捜査の真似事に過ぎないのだ。この作品、全体に不破や伊三次が事件解決に向かわなくなって、若者の成長物語に主眼を置き始めているとしても、目の前の凶悪事件にこの態度は大いに疑問である。

 最終話の『雨を見たか』で、伊三次が有力な情報を聞きこんだかに見えたのも、実はがせネタであって、伊三次と龍之進の間がぎくしゃくすることになってしまうのだが、偽の供述をした船頭がどこの誰かも明らかにされず、ついには尾張屋事件と本所無頼派との関係も不明寮のままで終ってしまう。どうにも話の落とし所がはっきりしないのである。各話に挿入されるエピソードも安直な感は否めず、要するに、この作品には長所が見つからない。雑誌上ではシリーズが続いているようだが、自分としては、これ以後もなお読みたいとは全然思わないのである。

 9月6日付朝日新聞の読書欄「著者に会いたい」で、宇江佐真理が新著『寂しい写楽』とともに大きく紹介されていた。もちろん好意的な記事であり、最新作で一皮剥けた作品となっているならば、著者にために、喜ばしいことであるけれど。

  2009年9月9日  読了