柴田よしき 『所轄刑事・麻生龍太郎』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2009年8月発行の新潮文庫。著者の作品は、長編の『水底の森 』を読んだだけで、強引なストーリー展開ながらも、達者な語り口が記憶に残っている。

 自分は知らなかったけれど、著者には高い人気の『RIKOシリーズ』があり、本書の主役・麻生龍太郎もそこで敏腕刑事として脇を固めているということだ。つまり、『RIKOシリーズ』から派生して誕生した作品ということのようで、龍太郎がまだ所轄の新米刑事であった若い頃にスポットを当てている。そういう意味では、『RIKO』に親しんだ読者のほうが、彼のキャラクターをよく承知しているわけで、この作品の興趣もいや増すのかも知れない。

 もちろん、『RIKOシリーズ』を知らなくても、この作品単独で賞味することはできるのだが、自分としては、麻生龍太郎という若者に対する思い入れが生まれず、共感できる部分も見当たらず、どうにも楽しむことができないままであった。一つには、作品の背景に、龍太郎が及川という男に思慕を抱いていることがあり、しかしその同性愛は煮え切らない状態で流れ続けていることがあって、自分としては、そのことに拒否反応を示しているのかもしれない。及川は龍太郎の大学剣道部の先輩であり、警察組織においても特進して本庁勤めとなった有能な男ではあるけれど、しかし、だからといって同性愛の設定が果たして必要であったのかは、大いに疑問である。もっとも、これも『RIKOシリーズ』で描かれていることとの整合性のためなのかも知れないけれど。

 この作品は連作推理の形式で、『大根の花』『赤い鉛筆』『割れる爪』『雪うさぎ』『大きい靴』の5編が収録されている。うち『赤い鉛筆』などは、自殺として片づけられそうな女性死体のわずかな不自然さから、龍太郎が殺人の匂いを嗅ぎ取り、見事に犯人を追及するというわけで、鮮やかなものであるけれど、他の刑事たちには見えないものが龍太郎だけには見えるという物語の構造であって、いかにも都合よく作られたストーリーとなっているとしか思えない。他の4編もそうだが、龍太郎には直感が働き、こつこつ足で確かめた事実を繋いで事件解決に結びつけるというよりは、その直感の指し示す方向へ進めば、自ずと事件の全貌が明らかになってしまうのである。この作品の龍太郎は、剣道で培った腕を支えに派手な立ち回りを演じたりすることは皆無であり、表面的にはごく普通の刑事であるけれど、直感の確かさということでは、やはりスーパー刑事なのだ。彼は私的なことでは悩み多き若者であっても、こと捜査に関しては、すでにベテラン刑事からも一目置かれる存在である。逆に言えば、推理小説としてのリアリティは期待できないわけで、結局は龍太郎のスーパーマンぶりを眺めているだけの物語になってしまう。自分としては、いささか絵空事的なこういう推理小説はあまり評価したくないのである。

 どうやら『RIKOシリーズ』のコアな読者に向けて書かれた作品のようだ。自分のような飛び入りの読者には敷居が高かったということなのかも知れない。

  2009年8月21日  読了