佐藤雅美 『浜町河岸の生き神様 縮尻鏡三郎』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 11月2日に姪の結婚式が東京・明治記念館であり、1日から3日まで、東京で過ごした。披露宴会場が、伊藤博文が明治天皇を迎えて御前会議を開催したという由緒ある部屋だったことも思い出深いが、3日はフリーであったので、小学校からの友人で東京在住のK君の案内で、思いつくままにあちこちを訪ねたのが楽しかった。赤坂から巣鴨、深川、神楽坂、お台場、都庁からの夜景展望、神田「やぶそば」での食事と、充実した一日であった。数ある出版社のなかでも特に愛着深い「新潮社」の社屋を望見できたことも嬉しかった。妻と二人、終日お世話になり、K君、ありがとう。

 さて、本書は文春文庫の10月新刊。「縮尻鏡三郎」シリーズの3作目である。

 自分のこのブログで、2作目の『首を斬られにきたの御番所』の読後感を確かめてみたら、軽い饒舌で語られる安直かつ強引なストーリーに辟易していて、すでにそこで厳しい評価を下していた。なのにまたも購入してしまって、今回も同様の感想を抱きつつ読み終えたのだから、何をか言わんや、である。馴染みのシリーズだからという理由だけで買い求めるのは失敗の元であると痛感し、こういう姿勢は改めなければいけないと、大いに反省しているところだ。

 表題作の『浜町河岸の生き神様』にしても、大名家の資金欠乏はよくわかるし、止むを得ずそれを踏み倒しにかかる勘定方の苦心もよく描かれ、金銭貸借の公事訴訟における切金裁許のありようも行き届いた解説が施されているとは思うのだが、松平和泉守家の勘定小頭・平山竜右衛門がいくら福相だからと言って、生き神様との評判を呼んで、その賽銭で藩の膨大な借金が返済できるとは、どうしても思えないのである。

 それに、縮尻鏡三郎こと拝郷鏡三郎は、なるほど政争に巻き込まれて出世をしくじった御家人ではあるけれど、いまは単なる「大番屋」の元締であって、いわば隠居仕事で給金を頂戴している立場に過ぎず、捜査権があるわけでもなければ、判決を言い渡す身分でもない。帯に「拝郷鏡三郎の見事なお裁き」と書いてあるけれど、これは看板に偽りであって、彼は世間話に花を咲かせているだけの人物なのであり、仮に事件が起きたとしても、彼が直接に介入することはないのである。したがって、8話の連作が収録されているけれど、そのどれもがユルい物語にならざるを得ないのだ。

 第1作では、彼がしくじった事情が詳細に語られていて、それなりに面白かった。.しかし、第2作以後、「大番屋」の元締としての鏡三郎をシリーズ化した作品には、無理があると思う。間もなく黒船が来襲し、世情不安定になる直前の、所詮は、束の間の平和を貪るだけの、取るに足りない物語の連続にすぎないのだから。

 敢えてこの作品の長所を捜せば、著者は江戸時代後期の制度や世相に精通しており、それを惜しみなく作品に反映していることだろうか。そこに興味を持てれば、この作品を楽しめるのかも知れないけれど、1編の時代小説としてみた場合には、どうしても物足りなさを否定できないと思うのである。

  2008年11月5日  読了