宮城谷昌光 『三国志 第一巻』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 文春文庫の10月新刊。

 宮城谷昌光という作家については、すでに個人全集が出るほどの人気作家であることは承知しているけれど、中国の歴史に題材を得た作品にはどうしても関心が向かず、これまで読んだことがなかった。ただ、今回は著名な『三国志』が、それも定評ある宮城谷版で小説化され、それがようやく文庫化されたとあって、是非とも読みたくなってしまった。

 自分は中国の歴史にはまったく音痴であり、『三国志』の三国がどこを指しているのかも知らず、そこで活躍するであろう英雄の名前も見当がつかない。そういう白紙の状態で読み始めて、最初は非常に苦労した。後漢王朝の時代を描いているらしいことはわかるのだが、人名が頭に入らずに何度も前のページに戻らなければならなかったし、流石に漢文をよくする作家らしく、耳慣れない語彙も多く使われている。蒲団の中で読もうとするなら、睡眠薬よりも強い作用で効いて、数行で眠ってしまうという有り様であった。

 物語世界に入り込めたのは、4分の1ほどを読み進んで、長く摂政であった大后が死に、安帝の親政が始まったあたりからだ。このあたりで第一巻の登場人物はほぼ出揃ってくるし、後に『三国志』の重要な役割を担うらしい曹操の祖父・曹騰が若くして登場してくるので、三国鼎立の少し前の時代を扱っていることもわかってくる。

 曹騰は幼い宦官として宮中に出仕し、安帝の皇太子である保に仕えることになった。しかし、安帝の側近の陥穽により、保は皇太子を廃されて、済陰王とされ、無力化されてしまう。曹騰は済陰王の下に残されたが、幽閉同然の元皇太子の境遇に涙する。

 側近の思うがままのものであった安帝が突然に病死し、閻太后が皇嗣に少帝を選んで摂政政治を開始した。実権を握るのは大后の兄・閻顕と宦官の江京であり、ここに閻氏の時代が到来したのである。だが、少帝がすぐに死に、閻氏が次の傀儡の皇帝を物色するに至り、正統の済陰王を推す声が次第に高まってくる。そして、孫程を中心とした宦官により実際に行動を起こすグループが生まれてくる。

 この、少人数のグループが、時の権力を握る江京と閻顕を討ち果たすところが、この第一巻のハイライトであろう。描写にも緊張に充ちた迫力があり、息を呑んで読み進めることになる。曹騰は実行グループには入らないが、済陰王と一体となって、事態の推移を見守ることになる。

 粛清は成功し、済陰王は順帝となって、親政を開始した。孫程をはじめとするグループも栄進し、曹騰も顕官としての一歩を踏み出した。順帝の政治は穏当なものであり、しばらくは平穏が続くのだが、王朝に内憂外患はつきものである。そして、順帝が結婚して外戚となった梁氏に、王朝という組織を腐らす毒が含まれていた。後漢王朝は破滅に向かって邁進しているようである。

 この第一巻は、順帝の死までを扱っていて、おそらくは一般的な『三国志』のはしりの部分にも至っていないのではないかと思われる。しかし、著者はこの時代から語る必要を感じて筆を進めているのである。王朝を支える百官、官僚、宦官への言及は親切丁寧であり、中国史を知らぬ者にも概要が伝わってくる。また、外戚が悪い作用を及ぼす例もよく描かれていて、わかりやすい。それらを踏まえて、第二巻以降、物語の核心へと移ってゆくのかと思うと、とても楽しみだ。

 宮城谷昌光という作家、やっと1冊を読んだだけだけれど、その力量は十分に窺え、これから読み浸ることになるような予感がしている。

  2008年11月8日  読了