横山秀夫 『震度0(ゼロ)』 (朝日文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 朝日文庫の4月新刊。
 横山秀夫も、文庫新刊に気付けば、必ず購入する作家の一人であり、読後には毎回相応の充足感があって、信頼の置ける作家の一人だとも思っているのだが、今回のこの作品は、その中でも重量級の傑作であった。語り口、プロット、人物の描き分け、結末の意外性、読後の余韻、どれをとっても素晴らしい。
 物語は1月17日午前5時48分に始まり、翌々日の19日午前10時35分に終る。舞台はN県警の本部庁舎と幹部公舎のみだ。N県警のトップを構成する椎野本部長、冬木警務部長、堀川警備部長、藤巻刑事部長、倉本安全部長、間宮交通部長の6名と彼らの夫人に即しての進行である。芝居の区割りのように場所と時刻が表示され、それぞれの思惑が錯綜する警察機構そのものが明らかにされてゆく。物語の舞台は固定されているけれど、そこは情報が集積する県警本部であり、濃密な時間が流れてゆくのだ。
 物語の開始日時は阪神淡路大震災の発生時間だ。あの日、自分も蒲団のなかで地震を体感したが、あれほどの被害が発生していることはつゆ知らず、普通に出勤し、昼のニュースで驚いたことを覚えている。N県警も事情は同じで、最初は危機感を感じるほどのことでもなかったのが、ニュースの速報で被害状況が明らかになるにつれて、救援隊を組織するための準備が始まる。地震のインパクトがこの作品ではリアルタイムで 詳述されてゆくのだ。
 しかし、遠い地域の地震より、N県警の喫緊の課題は、前夜、殺人容疑の三沢徹がN県に舞い戻り、交番巡査長の職務質問で本人を確認し全県配備を敷いたにも関わらず、朝になるまで逮捕できないでいることだ。さらにこの朝、警察組織を実質的に取り仕切る不破警務課長が行方不明になってしまう。県警本部の幹部が失踪ということになれば、警察の威信は地に落ちて、特にキャリア官僚である椎野や冬木には大きな汚点となってしまう。彼らはその情報が外部に漏れないように配慮しながら、極秘に不破の行方を追わねばならない。そして、その主導権を巡っても、冬木と藤巻はそれぞれの立場を賭けて鋭く対立する。
 冬木は自他ともに認めるエリートで、将来は警視長官を窺おうという立場であり、ここでつまずくわけにはゆかない。椎野は自分が犯したエラーの後始末を不破に命じており、それが今回の失踪と関連しているのではないかと不安でならない。藤巻や間宮は現場の叩き上げで、退官後の天下りポストも気にかかるところだ。一方で、倉本は間宮の妻と関係を持つなど、プレイボーイぶりを発揮している。そうした利害の対立に面子も加わり、N県警の中枢は機能不全の状態に陥ったかのようだ。
 大詰めで、不破の失踪、三沢の逃亡、椎野のエラー、それに倉本の女好きまでが相互に連関してすっきりと収束してゆくところは、著者の手腕の確かさを改めて感じるに十分である。その緻密な構成力には感嘆してしまった。それに、最後に、隠蔽体質を覆して警察官本来の良心が暗示されるのも、この物語の味わいを深くしているようだ。
  2008年4月26日  読了