宮本輝 『草原の椅子(下)』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫1月新刊の下巻。

 上巻に続いて、二人の50男の日常がゆるやかに語られてゆく。遠間憲太郎は新製品の売り出しに営業局次長として陣頭指揮をとり、陶芸店経営の篠原貴志子に少しずつ近づいてゆく。娘の弥生と写真好きの青年・鍵山誠児との交際も静かに進んでいるようだ。一方の富樫重蔵は、量販店の限界を知り、経営形態を変えるべく奮闘している。

 だが、そうした日常を描きながらも、この下巻では、圭輔を巡る人々の動きと、フンザへの憧憬・郷愁がストーリーの根幹となってゆく。憲太郎も重蔵も、圭輔の心の傷を癒し、生きる強さを与えようと真剣に向き合うのだ。お互いが仕事を持つ身であり、圭輔を取巻く輪は次第に広がって、弥生や誠児、大家族の高梨一家、重蔵の年老いた両親など、さらには貴志子も加わって、圭輔の再生に力を合わせることになる。憲太郎は圭輔を虐待した産みの親とも対峙し、圭輔を守ろうとする。

 そして、タクラマン砂漠からフンザへの想い。50歳のサラリーマンが2週間に及ぶ旅行のための休暇を取るのは勇気がいるけれど、「この極東の小さな島に生まれ、言いたいことも言わず、さして正義も行わず、ちっぽけに生きて、ちっぽけに死ぬなんて、想像しただけでも悔しいではないか」と、敢然と決意するのである。それは自分の人生を問い直すことでもあるのだ。多くのサラリーマンは、その一歩を踏み出せないままに、澱んだような人生を歩まなければならないのだけれど。(自分自身もそうだった!)

 当初は憲太郎と重蔵の二人だけの夢であったフンザ行きも、思い切って貴志子を誘い、圭輔も連れてゆくことになり、4人での旅立ちとなった。最終章は、壮大なその旅のスケッチである。人生を模索する彼等に、「生きて帰らざる海」を意味するタクラマン砂漠や、「世界最後の桃源郷」といわれるフンザは、どんな希望を与えてくれたのだろうか。

 上巻でも触れたが、憲太郎、重蔵、貴志子らの大人が紡ぐ会話が楽しく、含蓄に溢れている。さながら箴言集のようだ。著者は「あとがき」で、「人間力のあるおとな」を描きたかったと述べているけれど、現在62歳の自分が果たしてそういう大人であるのかどうか? この機会に点検しなければならない。

  2008年1月19日  読了