森まゆみ 『彰義隊遺聞』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫1月の新刊。一読して、労作であることをひしひしと感じた。

 著者は本郷駒込動坂の生まれで、上野のお山が子供の頃からの遊び場だったということだ。長じて、地域誌の編集に携わり、彰義隊による上野戦争の掘り起こしに使命感を持った。「逆賊と呼ばれ、『烏合の衆』と軽んじられ、一顧だにされない彰義隊の存在を世に伝え」たいという一念である。史料をあたるのはもちろん、上野界隈を足で歩いて痕跡を探し、多くの人から話を聞き書きし、彰義隊の発生から戦争の実際、そして隊士のその後の消息まで、こうして形あるものに纏めた執念を、まずは多としたいと思う。

 歴史は勝者によって語られると言われるように、彰義隊は官軍によってたった半日の戦いで壊滅したという程度の知識しか持っていなかった。しかし、そもそも官軍・賊軍と呼ぶこと自体が、勝者の語る歴史に呪縛を受けているのかも知れない。彰義隊贔屓の江戸っ子は、官軍を東征軍などと呼んでいたようである。

 彰義隊は、最後の将軍・慶喜が上野で謹慎したことに始まる。一橋家ゆかりの人々が慶喜の警護のために上野へ集まった。その後、各藩の脱藩者など、つまりは雑多な人々が参集し、慶喜が水戸へ去った後も、徳川の霊廟の守護の名目で多数が上野に残った。一時は幕府も彰義隊を江戸市中の治安に利用したけれど、次第に東征軍との小競り合いが頻発し、ついに戦争勃発に至った。薩長側にも幕府側にも、時代の変化を知らしめるために、ある程度の流血は必要だという認識があったようだ。戦に破れ、隊士の一部は函館・五稜郭での戦争に参加し、多くは逃亡潜伏して時節を待った。

 と、彰義隊の顛末を要約しても、この作品に関しては意味がないような気がする。著者は、有名無名を問わず、彰義隊に関わった人々の探索に労力を注ぎ込んでいるからだ。彼等の足跡を記し、鎮魂を捧げようという試みのようなのだ。小さな挿話が満載であり、その一つ一つがドラマになっている。そして、当時の江戸っ子が上野戦争をどう見ていたかが、よくわかる仕組みとなっているのだ。

 それにしても、慶喜という人は、鳥羽伏見でも上野でも、死者累々の結果を招いても、自分ひとりは逃げて長命を保ち、後には爵位まで得たというのは、一体どういう神経だったのだろう? 江戸っ子に不人気も当然である。

 小説ではないので、読み通すことに若干の苦労は覚悟しなければならないが、歴史の隙間を埋めようという地道な作業は知的探究心を誘い、物語とはまた一味違う楽しさに溢れた作品であった。

  2008年1月23日  読了