司馬遼太郎 『おれは権現』 (講談社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2005年4月発行の講談社文庫の新装版。このところ、講談社文庫も積極的に司馬作品の文字拡大化を進めているようで、気にかかっていた。この短編集は、おそらくは1970年前後の初出で、その当時に読んだはずなのだが、自分の記憶力が特に鈍いのか、本読みの誰もがそうなのか、40年近くも経ていれば、内容をきれいに忘れてしまっているので、逆に新鮮な面白さを感じた。「司馬遼太郎は小説を書くのがうまい!」と、誰もが認めていることを改めて感じた次第である。

 戦国時代、秀吉の晩年から関ヶ原・大阪の陣を経て徳川政権へと変遷した頃に登場した、それぞれ特徴のある人物を主人公に、7編が収録されている。表題作の『おれは権現』は、福島正則の家中の豪傑・可児才蔵を描いたもの。彼は幼い頃は臆病者であったが、愛宕権現に参篭中に霊を受け、その後名立たる戦国武者となることができた。その彼の秘密を、妾のお茂代が子種を欲しい一心で解明してゆくという構造の作品なのだ。才蔵がお茂代に接しても決して漏らさないことにも理由があったのであり、その経緯を、お茂代を配して推理小説風に仕立てたところが、この作品の面白さと言えようか。

 『助兵衛物語』も、宇喜多秀家家中の花房助兵衛という豪傑を描くのに、吉備之助という出雲の歩き巫女を配している。助兵衛の傍若無人な武功狂いぶりをユーモラスに語りながら、吉備之助との淡い接点をプラスしたことにより、物語に奥行きが生まれているように思う。同じことは『覚兵衛物語』にも言えて、8歳の子供のころに交わした主従の約束を律儀に守って、ついに生涯を加藤清正を補佐することに捧げた飯田覚兵衛を描くのに、お半という若い妾を配している。若き日の司馬遼太郎の、関西人らしいサービス精神が垣間見えるようだ。

 『若江堤の霧』は大阪冬・夏の陣で短い生涯を終えた木村重成を描き、それまで無名であった彼が一軍の将となって歴史に名を残した鮮やかさが伝わってくる。一方、『信九郎物語』は土佐の長曾我部元親が女中に産ませた信九郎の数奇な運命を描いている。信九郎も大阪の陣に迎えられて参戦するが、彼は城を落ち延びて、その後も逞しく生き続けた。この2篇、大阪城落城で明暗を分けた二人を描き、ともに余韻の残る味わいで好一対である。

 『けろりの道頓』は、いまも道頓堀にその名を残す安井道頓を描いたものだ。彼のとぼけた大物振りが何とも愉快で、秀吉との対面シーンなど主客転倒の趣きとなるのが面白い。

 最初に置かれた『愛染明王』は、福島正則の生涯を辿った作品であるが、さすがに大名ともなるとエピソードも多く、短編に纏めようとすると総花的となってしまって、この作品集の中では印象が薄くなってしまった。

 著者が関西人だからか、それとも敗者に肩入れしたいからか、全体に徳川方よりは大阪方に愛情が注がれているような短編集であった。

  2008年1月11日  読了