新田次郎 『先導者・赤い雪崩』 | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


 新潮文庫の改版。「おとなの時間」の帯が着いていた。1956年~69年にかけて発行された作品集からの抜粋による短編集で、計8編が収録されている。山岳小説の先駆者である著者にふさわしく、いずれも山を舞台とした作品ばかりである。

 『先導者』は、経験不足の女性4人を連れて上州と越後の国境縦走に挑む男の物語。彼はリーダーとして機能したいのだが、女たちには自我とライバル心があって、彼の指示を素直に聞こうとしない。体力を消耗し尽くして全員が遭難死に至るまでを、自然の猛威と、それを正しく認識できない女たちの言動、そして次第に投げやりにならざるを得ない男の絶望を併せて描いている。

 『登りつめた岸壁』は、中村に誤った地図を与えられて遭難死した姉の復讐のため、中村の所属する山岳会に入った喜見田が、その技術を認められ、やがて中村と二人でザイルを組む機会を得るまでが描かれる。岸壁を登りつめたところで、最後のドラマが待っている。

 『蛾の山』は一種の恐怖小説となっていて、教師に犯されその教師を殺害した過去を持つまみが、性的に結ばれた相手を殺してしまう物語だ。そのまみと結婚し、新婚早々に山で転落死してしまった兄の無念を晴らすため、妹の玲子の追及が始まる。「山では指一本で人が殺せる」というのが、一面の真理であるだけに、怖い物語だ。

 『嘆きの氷河』は、この作品集で唯一ヨーロッパアルプスが舞台となっている。30年も前に起きた墜落死の原因を巡って、氷河の割れ目に表れた死体のザイルを確認するという物語だが、この作品だけは、真実を知るより、いま生きている人を救済しようという善意が溢れていて、気持のよい読後感に浸ることができた。小粒だが、佳作だと思う。

 『谷川岳幽の沢』は、山の変死体を巡って、三者三様の人物が自分の身内だと名乗ってきて、最初は無関係に思われたものが次第に収束してゆくところがよく描かれている。

 『白い砂地』は、チューリッヒから帰国した男が遭難死したペンフレンドの墓を訪ねるという話。荼毘に付した場所である上高地を訪ねてからが味わいを増す。

 『赤い雪崩』は、男二人女一人の登山で雪崩事故が起きたのだが、実はそれは三角関係のもつれが引き起こしていたという内容。地元の山男たちの逞しさと大らかさが気持ちよい。

 『まぼろしの雷鳥』は、八ヶ岳には雷鳥が絶滅したという説に対して、見たという写真が送られてきたことからその確認調査をする役場職員の物語だ。雷鳥の生態や学術的な分布など専門的な記述を交え、しかし彼の懸命な努力が伝わってくるのが心地良い。これも最後に悲劇が待っているのは、このテーマだけに、残念であった。

 山におけるドラマの極限はどうしても人の生死ということになり、この短編集も悲劇が多い。そのなかで、いろいろなヴァリエーションの物語を紡いでいるのが、この著者が山岳小説家と呼ばれる所以でなのあろう。

 2007年1月23日 読了