ヨガは自然そのものであり、自然な生き方を自然に実践するものと、頭で理解しています。
自然な生き方とは、淡々と粛々とばかりではなく、時には荒々しく、ガリガリと息をはずませ大量の汗をかきながらの生き方も含まれるものと思うのです。
瞑想は静慮でした。
瞑想の前段は集中でした。
整美体操的、美容体操的ヨガ、沈思黙考型ヨガ、アクロバット風ヨガもそれなりに楽しい
ヨガを原理的に、総合的なむすびととらえるならば、
ヨガは、日常的生活から宇宙的生活まで、すべてを含んだ生活実践であると云えるでしよう。
一人の人間の能力には限界、限度があります。
しかし、脳力~想像・妄想力には限度がないと思います。
世我は狭いヨガのみに囚われず、
広く深く狭く浅いヨガを想定しています。
想いは宇宙的に、マクロビオティックに、広く深く、
行動は、公務員や官僚、政治家、商売人のごとく、
目先の日常生活の足下を見ながら現実的に、狭く浅く
それが、
霊 火風水土草虫魚鳥獣人の繰り返し循環の生き方でした。
実行出来ることは、手足の運動や体操だけでは有りません
妄想、想像も「脳作業」としてギリギリの実行作業であると認めたいと思うのですが・・・