ヨガ30年で得たもの
天風師が、インドの修行の地のヨガ村で
カリアッパ師に「あの老人は80年ここに居るがまだ見性していない」
と説明されている。
天風師は約三年ヨガ村にいてカリアッパ師に
「お前はもう日本に帰って良い」といわれた。
人生のスタートから見性している者を天才という。
ひとつのことを30年続けていると、
凡人でも何らかのものを得るようだ。
自分も、ヨガを気にした生活30年を過ぎた頃
ある気づきを得た。
それは
宇宙、いのちの無限性と循環である。
宇宙、生命は無限なる循環の別名であることを
見性したのである。
ここには、カリアッパ師も天風師も
沖導師も、釈尊もいないから
自分で自分を認定することになる。
30年の、同じことの繰り返しは
見性を見性と認定する見識を与えてくれたのである。
釈尊いわく「この世に生起するものは、例えどのようなものであっても、いつかは滅してしまう無常の原理からは逃れられない。そのような生身の師に執着するのではなく、「教え」を師とし、自分自身を拠り所にするべきである」
ヨガとはむすびという意味だ、という沖導師の言葉をよりどころにして
30年経て、
ヨガとは結びであり、バランスであり、神であり、命であり、無限循環出あることを見性し
今、寿命とは使命、役割のことと思えるようになった。
寝たきりの命も寿命である。
見性は一度のみあるといわれるが、確かに見性という意味は一つでいい。
しかし、「なるほど」と感じ入る瞬間は、無限に何度もくりかえすのである。
命が、生まれ変わることの意味がここにあるように思う。