ビタミンのはなし(3) ビタミンB1:わが国における脚気の歴史 | 横山歯科医院

横山歯科医院

http://yokoyama-dental.info/

[ビタミンのはなし(3) ビタミンB1:わが国における脚気の歴史]

(データ・マックス  2010年2月14日)(伊藤仁先生)


高木兼寛と森林太郎の脚気をめぐる論争は、海軍vs陸軍の戦いだけでなく、
高木vs東京帝国大学医学部の戦いでもあった。

高木は、現在でいう疫学研究によって脚気による死者を極限まで減少させ
ことができたのに対し、森が軍医の陸軍では、相も変わらず多数の脚気による
死者を出した。

日露戦争でも、海軍が87名の発症患者にとどめたのに対し、陸軍では25万人
強の脚気患者を発症し、約2万7,000人が死亡している。

高木が、脚気の原因は栄養にあるとしながら、その医学的根拠を理論的に説明
できなかったことは弱点ではあるが、それ以上に、森と東京帝国大学医学部が
高木の成果に対してもう少し謙虚で柔軟な姿勢をとっていれば、こんなにも
多数の人命を失うことはなかった。


脚気の原因をめぐる論争はなかなか終息せず、1919年に島薗順次郎が日本
内科学会での報告以降、脚気はビタミンB欠乏が主因とする見解が主流に
なり、1933年にビタミンB1の欠乏によると報告された。


日本において、脚気による死亡者数は1945年ごろまでに毎年1万人を超えて
いる。
1950(昭和25)年で約4,000人だった。

脚気による死亡者が0(ゼロ)になったのは1960(昭和35)年代に入って
からである。
その大きな要因はビタミンB1の合成が成功し、多種類のビタミンB1製品が
上市されたことによる。

日本では、藤原元典と武田薬品工業が開発したアリチアミン(B1誘導体)が
腸管吸収の良さから広く利用された。


ところが1975年、西日本の高校生に脚気が再発した。
原因は砂糖の多い飲料や食品、そしてインスタント食品などのジャンク
フードを食べていたことに起因している。

21世紀に生きる私たちの食生活は果たしてどうだろうか。
インスタント食品に頼りすぎる生活は、知らず知らずのうちにビタミン不足の
状態を招いているかもしれない。


日本で脚気とビタミンB1の因果関係が論争されていた当時、1920年頃から
1930年代にかけて、ヨーロッパではビタミンCをめぐる発見と合成の時代で
あった。





http://www.data-max.co.jp/kenko/2010/02/post_39.html