シンガポール元首相・リー・クアンユー氏の提案(ページ2) | マクロビヨーコのブログ

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念願叶って、夫のセミリタイヤを機に2013年6月、夫婦でシンガポールに移住。家族で住んだ5年+4年間の通い婚(シンガポールと日本を行ったり来たり)そしていよいよ、本番スタート!「クッキング」「国際交流」など、その日心に浮かんできた事をブログに綴っています。

「国民は、皆、リー・クアンユー氏の健康状態を

心配している」とキムさんが言った。90歳という

ご高齢の為、今は、ご無理ができない状態

なのだという。

昨年8月、国立公文書館に行った時、年輩のマレー人

スタッフが、「リークアンユー氏は、シンガポール人に

とって、まるで、お父さんみたいな人なの。何も知らな

かった私たちを教育してここまで導いてくれた・・」と

言った。アレッ、そういえば、インド人のマノさんも

同じコトを言ってたっけ・・・・・

「私は、彼のことをたいへん尊敬しているので、ブログを

書いて、日本人読者に紹介したい。資料の何枚かの

コピーが欲しいのだけれど」と言うと、彼女は「OK!」と

嬉々としてコピーをとり、「「もう、他にはないの?」と

聞いてくれた上、お金はいらないと言った。だから私は

本日アップするこのブログを、彼女が読めないにせよ、

その証拠(?)として、公文書館に持っていこうと

考えている。


リー・クアンユー氏は、そんな状態にありながらも

日本に対しこれほど、熱く、本気のメッセージを発信して

くれたなんて、本当にありがたく頭が下がる。

彼のご著書「目覚めよ日本」出版から、すでに13年が

たっても、依然として変わろうとしない日本だが、まだ、

もしかしたら、少しは期待してくれているのかもしれない。


良きにせよ悪しきにせよ、若く多感な二十歳の彼に

言い尽くせぬ影響を与えた日本。今こそ、彼の

「遺言」?とも言えるような90歳のメッセージから学び、

大きな変化を起こさない限り日本の将来は、お先真っ暗だ。


では、今日はそのパート2です。



シンガポールも出生率が低い課題に直面しているが、

それは日本の場合と同じではない。一つの重要な違い

は、シンガポールは移住を受け入れることによって

この問題を最小限に食い止めている。

 日本では外国人を受け入れることを頑なまでに

妥協しない。日本民族は純血でなければならないと

深くしみ込んだ考えがあり、公に代案を議論する

ことさえできない。

 日本人の一般庶民でも、政治の世界のエリートに

おいても、多国籍国家としての日本をとてもイメージ

できないようだ。

 私は、この民族の純血性の誇りを示す場面を直接

見た経験がある。日本によるシンガポールの占領時代

私はキャセイビルで英語の校訂者として働いていた。
そこでは28日にセレモニーが行われ、大きな

日本刀を構えた日本の兵隊が「我々、日本人は、

天照の子孫だ!」と叫んだ。その意味は、「私たちは

特別であり、あなた達は違う」ということだ。

 私は彼らが今後も同じようなことを繰り返して言う

とは思えない。しかし、その基本的な信念が変わる

とも思えない。

 占領時、ジョージタケムラという名の、アメリカ

生まれで米国で教育を受けてきた一人の民間の日本人

事務官がいた。他の人たちと違って、話し方も態度も

紳士的だったこの彼は、日本軍の占領時代に報道部で

働いていて、私と同様にケーブルニュースの翻訳を

担当していた。しかし、彼はそこで働く日本人から

全く信用されていなかった。


 このような信念を持ち続けていることは国に

たいへん大きな影響を与えてしまう。この日本の

人口統計上のジレンマに対して、常識的な解決策が

自動的に削除されてしまうのだ。

 例えば、もし私が日本人なら、日本人に風貌が

似ていて、日本人と同化しようとベストを尽くして

くれるような他民族の人たち・・・中国人や韓国人、

おそらくベトナム人も・・・移住を引き付け

ようとするだろう。実際、このような人たちは日本の

中に存在している。566千人の韓国人、687千人の

中国人が、この国に暮らしている。彼らは完ぺきな

日本語を話し、帰化した日本人だと十分に認められ

るほど、風俗習慣にも通じ、そして長く日本の社会の

人たちに順応している。実際、彼らの多くは日本で

生まれ、育っている。しかし未だに日本社会は彼らを

認めていない。

この島国根性の絶対主義をはっきり理解するためには

また別のグループのことを考えなければならない。

日系人として知られている、民族としては純血の

日本人だがラテンアメリカから来たこのグループは、

日本社会から拒絶されている。・・つづく





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1965.8.9 リ・ークアンユー氏、涙の独立記者会見

ここで国民はシンガポールの独立を知った。


マレーシアから切り離され、存亡の危機にあった

当時のシンガポール。国民は彼の涙を見て、国の

危機を悟り一致団結した。

しかし、もし、これが無かったら、今のシンガポール

の成功はない。まさに、ピンチはチャンスなのだ。

今の日本と同じでしょ?! がんばれ、日本、

変化を恐れず、もっと率直に、もっと、オープンに!








シンガポール国立公文書館 2013.8.17