自分のことではないから
どうでもいいのですが(笑)
多分、自分が大切にしていることを
簡単にあしらわれている感があったから
まだまだ私は未熟で大人気ないところがあります
私の周囲の方はそれぞれの技能と意志がはっきりした中でヨガ指導をしていて熱いと感じています
誰かはとにかく丁寧に指導していて
オファーされたら断らないしもう限界まで頑張るし
誰かは自分の勉強すごくしてすごくして
多くの方に配信を積極的にしてるし
誰かは地域性から数少ないヨガスタジオを1人で全てのクラスやり切って、
みんな共通してるのって
誠実にハタヨガを伝えたいって思ってる
これは個人的な意見ではありますが
アタシはハタヨガ講師なんでハタヨガそのものを学び続けながらちゃんとハタヨガを伝えたいって思っています
哲学者ではないので、ハタヨガの教えが伝わる範囲内しかお話しません
それ以上は哲学者を紹介するようにしています
(日本人では知らないので海外の先生になりますが)
オリジナルに作られたヨガのポーズを利用した健康運動に否定的な意見は述べませんが
指導されている方が意識あった選択での指導は求めています
(ハタヨガを教えていると言いたいならちゃんと勉強してほしいし、そうでないならハタヨガを利用したとはっきり言って欲しいです)
なんでこんな細かいことを言うかというと
受け取った側は言葉悪いですが「素人」なわけで
そこのところしっかり伝えることで
「惑わし」や「勘違い」や、「興味」からの「探求」もあるはずです
ポーズを練習していく先に何があるかに気づかせてあげるのが指導者であり、だから小さな灯火の役割になるんですね
ポーズの練習の先は難解なポーズとの出会いではありません
シンプルで美しい自分の姿と出会うもので
(なんか可愛く書いてしまった)
楽しく笑う姿がそこにあったりするのですが
これがまさしく勘違いを起こす気がして来ました
同じことにチャレンジして皆で努力して練習することが美しいわけではない
そしてポーズは発表するものではない
遊び道具でもない
指導者は責任をもちその場に立つべきで
責任ある行動をすべき
もしかしたらを想定した立ち位置にいて
全体を見渡す責任がある
これはあくまでアタシの意見だけど
だから
指導中に写真撮る意識なんか働かないし
そこに意味ないし必要ないし暇ないし
もし
そこで何かあったら、それに気づく?
危険に対して何ができる?
無責任にもほどがある
と言いたいわけです
で、、、
危険かもしれない状況を見逃して
遊びって笑ってるなんてことがあったわけです
ちょっと私のポリシーというか
ゴッと火がつきましてね
まぁ他人様の話ではありますが
ちゃんとやろう
って思った次第です