4回目の3月11日 | 独航録 ~ N予備校講師 中久喜 匠太郎

独航録 ~ N予備校講師 中久喜 匠太郎

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4年前の今日、これから落命することになるとは露も知らずにいつもと同じ朝を迎えた一万八千の人がいたことを忘れてはいけない。今日以外の364日も。


私は4年越しの念願をようやく達成した。2015年3月11日午後2時46分を、福島・富岡町の海岸で過ごせた。2011年3月11日は福島市で過ごす予定だったから、少々行き先は変わってしまったのだけど。


仏浜の海岸近くにある処理施設の建築現場。その裏にある海岸には人は誰もいなかった。風が強かった。


4年前の今日、私は福島に向かって旅立とうとしていた矢先、地震に襲われた。


私は生かされている、という動かしようのない事実。


かりに4年前の今日、福島を訪れる予定がなかったとしても、そう思っていただろう。4年を経てなお壮絶な破壊の爪痕の色濃く残る海岸に立って、穏やかな海をみつめていれば、きっと誰でも思うだろう。


私は、私たちは、生きているのではなく、生かされている。


それが私であったとしても、少しもおかしくはない。

それが私であったとしても、そこに意義も不満も並べることはできない。


それがたまたま、私でなかったというだけのことだ。


どす黒い水の壁に追われ、濁流に呑まれたのが私であっても、何もおかしくないのだ。


今なお深海の底で助けを待つ人が、今、私のかわりに笑い、泣き、怒り、悲しんでいたとしても何もおかしくないのだ。


太陽系にあるあらゆる物質の中で、太陽の質量はその99.8%を占めている。その残りの0.2%のうち、一人のヒトが占める割合はどれくらいだろう。その、気が遠くなるほど儚い物質の中に、どれほど広大な宇宙が広がっているのだろう。


あの日奪われた一万八千のヒトの儚さ
あの日奪われた一万八千の宇宙の途方もない広さ


私達は時のらせん階段を登り続ける。3月11日という小窓からの定点観測を、これからもきっと続ける。そこから見える風景はきっと変わっていく。同じである必要はない。


けど忘れちゃいけない。私は忘れない。生きているのではない。生かされているのだ。


2時46分が近づいてくると、建築現場から一人の作業員が私のいる海岸に近づいてきた。私をとがめに来たのではないことはわかっている。今日ばかりはこの海は、誰のものでもない。


夕方はいわき市の小名浜で過ごした。


思ったより人は少ない。こちらも風が強かった。強風にあおられてウミネコ達が空に浮かんでいた。二人のミュージシャンが澄み渡った美しい声で、海にむかって自作のレクイエムを捧げていた。


傾いていく太陽に照らされた雲がやわらかく光を浴びて、虹のように刻一刻と身に纏う色彩を変えていく。息をのむほど美しい。


どうしよう、4年前の今日もこんなに美しい夕焼けが空を染めていたら。


海を漂う屋根の上で助けを待つ人がこんなに美しい夕焼けを目にしていたら。美しさに見とれたりしたのだろうか。滲み始めた闇に絶望したのだろうか。


繰り返し押し寄せる濁流に流されまいと必死でしがみついた電柱のてっぺんから、こんなに美しい空がみえていたとしたら。


力尽きて押し寄せる波に呑みこまれる寸前、肺に入る海水にむせびながらこんなに美しい空が見えていたとしたら。


無情とか残酷とか、そんなありきたりの言葉では表現できない。言葉が事象に追いついていない。


この美しい空と大津波は全くもって符合しない。寒空の下で凪いだ海をながめながらどれだけ想像してみても、この美しい空と大津波を一つの視界に同居させることは難しい。


そこには「ことわり」も「因果」もない。ただ、たまたま時を同じくして起こった2つの自然現象。それ以上でもそれ以下でもない。


そこにつながりがあるのかを探るのが科学だとするならば、それを1つに昇華させることが芸術だとするならば、私はその両方を放棄する。


ゆくりなく起こることはある。


ゆくりなく美しい夕焼けが傷ついた大地を覆った。


忘れてはいけない、私であったかもしれないのだ。


ゆくりなく一万八千の命が奪われた。


ゆくりなく私は生かされている。


強風にあおられながら海に歌うミュージシャンの横に、空中でホバリングしていた一羽のウミネコが高度を下げて寄り添った。


everything's going to be alright. everything's going to be alright. 美しいレクイエムはいつまでも続いた。