「シカゴ発 映画の精神医学」 というメルマガの感想 | 喪われた和音を求めて〜プロデューサー日記〜

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今は直接文章書いておらずですが、同期した投稿のみになります。

「シカゴ発 映画の精神医学」 という映画関連のメルマガが面白いと聞いて読んでみたら。確かに面白い。

精神科医の視点で映画を分析していたりして説得力があるのだが、著者の佐々木さんは本当に文章がうまいと思う。

以下は、映画『おくりびと』についての記事を見て僕が思ったこと。


『おくりびと』という映画は、納棺師という職業を通じて、生と死を描き、見る側も人生の意味について考えさせられます。

また映画の中で描かれている”親子”関係が僕は好きでした。

納棺師という職業に出会えたことで、自分を捨てた父と向き合う事ができた主人公は、ラスト、心を込めて納棺するわけですが、そこに単に子供として親に向き合うようになれたというだけでなく、一人の大人としての成長があります。

その部分を著者の佐々木さんはこう書いています。

心理学的に見れば、「父」は社会、「母」は家庭を代表する存在です。

これは、その世界では初歩的なことなのでしょうが、そう言われるだけで結構なるほどなあと思ってしまいました。佐々木さんの文章を要約すると・・・

父と向き合えないということは、そもそも社会に向き合えていないと同じとも言える。

チェロ奏者になるという夢を追ってはいたが、一人の大人として社会に向き合う(=仕事する)というより、それはモラトリアムを引きずっているだけだった。

その主人公が、納棺師という仕事に出会い、父と向き合う(父を超える)ことで、真の意味での大人になったのだ

ということなのですが、なるほど、「父=社会」という関係性があるだけで、この映画の構造が極めてシンプルに読み解けてきます。

そして、その構造がシンプルでいて、ディテールが美しいからこそ、素晴らしい映画になったのではないでしょうか?僕はそう思います。やはりシンプルは美しい。

あと、佐々木さんも書いている、この映画の別の切り口。

あなたは、もう「天職」を見つけましたか?
今の仕事は、あなたにとって「天職」ですか?

というメッセージ。

これもすごく重要だと思っています。

佐々木さんは次のように書いています。

社会人にとって、「生きる」ということは「仕事をする」ということにも通じるのです。
ですから、「天職を見つけた」というのは、「自分の生きる意味を見つけた」ということと同じです。

うーん、なるほど~。その通りですね。

最近「自分の使命とは何か?」と考えることがあります。そして、それは僕だけではなく、みんなそれが何か探しているのではないかという気がするのです。

それにしても「天職」という言葉って、何か字面がかっこよくないですかw?

◇メルマガ「シカゴ発 映画の精神医学」 9/26号バックナンバー
http://archive.mag2.com/0000136378/20090926174000000.html

◇精神科医・樺沢紫苑の脳内情報館(著者佐々木さんのブログ)
http://ameblo.jp/kaba1/